日本の偉大な「エンジニアの祖」、関孝和の華麗なる功績

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関孝和という人物をご存じでしょうか。和算(日本独自に発達した数学)の祖として知られている人物で、江戸時代「算聖」と謳われ、最も敬われた数学者です。一見すると和算家とエンジニアとは関係なさそうに思えますが、実は和算は江戸時代の為政者たちから求められる立派な「理系スキル」でした。

というのも江戸時代、共同体の運営には少なくとも「測量」と「暦」が不可欠だったのです。農地の面積から作物の出来高を予測したり、太陽や星の動きから種まきや収穫の時期を知ったりするには、実測と計算が求められました。例えば円周率は、暦の作成に使われます。つまり学者としてより、実用的な技術者として、江戸時代の和算家は重宝されていたのです。

では関孝和とは一体どのような人物だったのでしょうか?

1.関孝和とは

関孝和(?~1708年)は、江戸前期の数学者。中国の数学に依存していた日本の数学を日本固有のものに高めた点が評価されています。生まれた年ははっきりしませんが、ニュートンとほぼ同時期に活躍した数学者です。

関は幼少期から数学書である『塵劫記』などで勉強していたと言います。その後、算術の力量を認められ勘定吟味役となり、しばらくして直参の旗本となりました。

関が自ら記した唯一の著作物は、沢口一之の『古今算法記』(1671)の遺題の解答をまとめ、代数方程式の作り方や整理の仕方を公表した『発微算法』と言われています。関の著作はこれ以外にも多数残されていますが、多くは関の没後に弟子たちが刊行したものです。関の活躍していた時代、中国から「天元術」という、今でいう一元高次方程式が伝わっていました。ただし、当時は「算木(長さ5cmほどの木の棒)」と「算盤(さんばん)」という道具を使って解くものでした。道具を使うので計算は簡単ではなく、変数が一つの一元方程式(例えばxだけの方程式)しか解けないという難点があったのです。

そこで関は、「傍書法」という独自の記号法を用いて多変数の方程式を解くことに成功しています。関は紙に「甲」「乙」といった文字を書き並べて計算するやり方を工夫することで、多変数の方程式を解けるようにしました。

2.関孝和の主な功績

関の業績として、「円周率の計算」「行列式」「ベルヌーイ数の発見」が挙げられます。

・円周率
円周率は、円に内接する正多角形の周の長さをもとに、円周率の近似値をつくります。関は1681年頃に正13万1072角形を用いて小数第11位まで求めました。

関はこの時、効率よく計算する方法を編み出しています。円に内接する正2 ^n角形のnを一つずつ増やしていく時に、周の長さが等比数列になるという法則(エイトケン加速)を発見していました。

・行列式
関は行列式の理論も提示しています。これは連立方程式の解を求める公式をつくる過程で発見しました。これはヨーロッパに先駆ける発見だったようです。西洋数学では、ライプニッツが1693年に導入しました。

私たちは連立一次方程式の解を求める方法として「行列式」を学んでいます。しかし関の理論は、ある変数に対するいくつかの代数方程式からこの変数を消去した式をつくるというものでした。

・ベルヌーイ数の発見
彼の死後、刊行された『概括算法』(1712年)には、フランスのヤコブ・ベルヌーイが発見したベルヌーイ数が示されています。両者ほぼ同時期の発見だったため、この級数は「関・ベルヌーイ数」と呼ばれることもあります。

数学で数列の和の公式を習ったことがある人も多いでしょう。例えば自然数の和は1+2+3+…n=n(n+1)/2という類のものです。ベルヌーイの公式も数列の和を求めるためのもので、「べき乗数列の和の公式」です。

3.原典は国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる

関の原典は国立国会図書館デジタルコレクションから閲覧可能です。資料は保護期間満了となっているので、転載することもできます(転載についてはこちらのページに詳しく書かれています)。

例えば以下の画像は『解見題』の一部です。

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また、国会図書館の特設Webページ「江戸の数学」では、関孝和に関するコラムと合わせて「腕試し問題」が紹介されています。こちらもエンジニア心をくすぐられるかと。

鎖国の時代に、西洋の数学とは異なる独自の進化を遂げた和算。関孝和をはじめとする多くの和算家の飽くなき探求心が、世界的な発見を導き出したのです。単に学術的なものではなく、「測量」と「暦」という実用的なものを設計・構築していた関孝和は、間違いなく江戸時代のエンジニアと言えるでしょう。