「世の中はタイミングなんですね」(横井軍平):エンジニアの金言集(4)

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日本経済を支えたエンジニアの偉人たち。右肩上がりの時代が終わった今でも、彼らの言葉には学べるところが多くある。エンジニアの金言を追うシリーズの4回目。今回は、「ゲーム&ウオッチ」「ゲームボーイ」などの生みの親、任天堂の横井軍平氏の言葉を紹介しよう。

横井軍平とは

1941年生まれ。同志社大学工学部卒業後、任天堂に入社。翌年「ウルトラハンド」を開発し大ヒット。その後「光線銃SP」「ゲーム&ウオッチ」「ゲームボーイ」などヒット商品を大量に世に送り出す。97年に自動車事故で死去。晩年はバンダイの「ワンダースワン」の開発にアドバイザーとして参加していた。

横井軍平の名言

「世の中はタイミングなんですね」

ゲームボーイの原型ともいえる「ゲーム&ウオッチ」。横井は新幹線に乗っていたときに、新幹線の中に退屈しのぎにサラリーマンが電卓を使って遊んでいたのを目にする。これを見て「暇つぶしのできる小さなゲーム機はどうだろうか」と思い立った。ただ、そのときは思い付きの一つとして自分の中に温めておこう、ということにした。

そのアイデアが世に出ることになったのは、まさに偶然だった。横井が開発部長だったある日、任天堂の山内社長(当時)の運転手がある事情で休んでしまった。社長の社用車はキャデラックであり、左ハンドル車を運転できる人間が必要だった。横井は中古の外車に乗っていたため、急遽1日社長の運転手をやることになった。山内社長を乗せながら運転している間、何か仕事の話をしようと思い、新幹線内で電卓で遊んでいたサラリーマンの話をした。そのときは社長はさほど気にしている様子ではなかったという。

ところが、そのあとの会合でたまたまシャープの佐伯社長(当時)の隣に座った。そこで山内社長は佐伯社長に「電卓サイズのゲーム機」の話をした。すると1週間後にシャープの重役たちが任天堂にやってきた。山内社長いわく、「君が言った電卓サイズのゲーム機なら、シャープが得意だから呼んだ」。この後の製品実現のスピードは速かった。

横井は言う。「たまたま社長が佐伯さんと隣り合わせじゃなかったら(アイデアが)消えていたし、その日運転手が風邪をひかなければなくなっていた。世の中はタイミングなんですね」と。

まとめ

スタンフォード大学のクランボルツ教授らが、1998年に発表した「計画された偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」というキャリア理論がある。これは社会的に成功した数百人のうちの約8割が「今のキャリアは偶然によるものだ」と答えた、というものだ。つまり「個人のキャリアは、予期しない偶然の出来事によってその8割が形成される。そして、その偶然の出来事を当人の主体性や努力によって最大限に活用し、キャリアを歩む力に発展させることができる」と(参考資料その1その2)。

横井が任天堂に入社したのは1965年。同志社大工学部電子工学科出身の横井は、大手家電メーカーを志望していたがことごとく不採用になる。地元企業という理由でなんとなく受けた任天堂に唯一採用され、「理工系新卒第一号」として入社することになる。当時の任天堂はトランプが主力製品であり、エレクトロニクスの会社ではなかった。はじめは、カードを製造する工場設備の保守点検という業務を命じられた。

その業務をこなす合間、暇つぶしに工場の旋盤を借りておもちゃを作って遊んでいた。すると、それを見つけた山内社長が「任天堂はゲームメーカーなのだから、ゲームにして商品化しろ」と言い、その暇つぶしのおもちゃを製品化することになった。それが、100万個を超える大ヒットとなる「ウルトラハンド」というおもちゃだった。

横井は、就職で希望するメーカーに就職できなくても、腐ることなくその境遇を楽しみ、世の中に大ヒット商品を送り出した。クランボルツの言うように、自分の意図しないキャリアのスタートであっても、「当人の主体性や努力」によってその機会から積極的に学んでいこうとすることが大切なのだと言える。

参考文献:
『横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力』(フィルムアート社)
『任天堂 “驚き”を生む方程式』(日本経済新聞出版社)

(安齋慎平)