創業者の思想は、公式文書から消えたとしても、サービスから見えなくても、社員の判断の中を生き続けているのだと感じたリクルートの話。

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はじめまして。 高木新平です。実はいまHRナビを運営しているリクルートホールディングス(以下、リクルート)と一緒にお仕事させていただいていて、せっかくタイミングだしリクルートの超個人的なイメージを書き綴ってみたいと思う。

リクルートと人生の接点を振り返ってみる。

イメージは世代によって分かれるだろうが、1988年のリクルート事件の頃に生まれた僕は、最もやばかっただろうときを知らない。江副さんもよく知らない。それでもR25という斬新なフリーマガジンは知っていたし、Hot pepperの吹き替えCMは面白かった。それに何かとサービスは利用していたので認知はあった。カスタマーとして遊び心のある会社というイメージだった。

就活の季節になって初めて、働く環境としてのリクルートを意識した。僕らの世代はリーマンショックがあって必死感が充満していた。サマーインターンなるものも過熱して就活が前倒しになって、先手必勝就活スタイルに乗り遅れていた僕は、よくわからないままリクナビに登録。その後メールフォルダが爆発するくらいのメールが飛んできて二度と開くことは無かった(笑)

だがそのとき腹が立ってリクナビについて調べ、初めて江副さんのことを知った。「学生と企業の間に開かれた情報流通をつくることで、ちゃんと情報を開示して採用努力する会社にこそ良い学生がいく仕組みをつくりたい」というようなことを立ち上げ当時言っていて、元々は素晴らしい理念があったんだと感動するとともに、市場そのものを作ったこの会社やばいと思った記憶がある。

結局その勢いで、リクルートを受けた。内定したら銀座の鮨屋で口説き倒されるだとか、数億を個人裁量でポンポン回してたとか、調べるほどに伝説が出てきたし、「リクルートの面接官は、自分よりも優秀だと思った奴しか通さない」という触れ込みも興味をそそった。実際に面接へ行くと突然、“リクルート激動の半生を振り返る”ドキュメンタリー風ムービーが上映されて、アツすぎるよ…と思った記憶がある。外から見てる分にはそんなイメージだった。

リクルートには今も熱く優秀な人たちがいる。

社会に出て仕事をしていると、現役以上に元リクルートの方とよく会う。多くの人が「リクルートはすごい会社だよ。今はもう昔ほどの熱さは無いけどね」的なことを言う。確かに全体観としては、やんちゃするような匂いはしない。真面目に優秀。年配の元リクの人ほど武勇伝を持っているけど、それは時代的なものの影響もあると思う。今より80年代が熱狂的だろうし、戦後はもっと凄まじかっただろうから。

だけどむしろ今はもうグループ全体で社員3万人、売り上げ一兆円超えの大企業な割に、尖った人はまだまだ多い気がする。僕が仕事をしているだけでも、今話題のベンチャーから転職してくる人も多いし、新卒ではそこ断ってきちゃうの?という凄腕エンジニアがたまにいたりする。キープヤングで流動性が高いのは、健康体質の秘訣なんだなとよく感じる。

それに彼らはクールだが熱い。昔のそれとは比べられないが、リクルートプライドのようなものを持っている。リクルートはいま峰岸社長の大方針で、IT企業に変わろうとエンジニアを大量採用中なのだが、その話題になったときに社外の人間が「google超えしたいって感じですかね」と反応したら「いやリクルートはリクルートだ!googleなんかには負けない!」と社員らは一斉に反論した。僕は内心「いやgoogleめっちゃすごいよ…」と思ったが、おれらはおれらだという姿勢はかっこいいなと思った。

「商業的合理性の追求」という今は無き経営原則

リクルートでかっこいいと言えば、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という創業者・江副さんの言葉だ。企業スローガンをつくる仕事をしている僕からしてもこれほど熱量をもって人を動かす言葉は、奇跡に近いと思う。この言葉は元々社訓として掲げられていたが、実はリクルート事件後の1989年に公式文書から消えている。今でも多くのビジネスマンが口にしているからか気づきにくいけれど。

そしてもう一つ、公式文書から消えながらも(個人的に)リクルートのDNAを支えているのではないかと思う言葉がある。それは「商業的合理性の追求」だ。現在の経営三原則は「社会への貢献」「個人の尊重」「新しい価値の創造」だが、この3つ目がリクルート事件前までは「商業的合理性の追求」だった。今の経営三原則も「まだ、ここにない、出会い」「Follow your heart」もリクルートを象徴する言葉だが、正直今ではどれも目新しくない。70年代から90年代にかけての日本が多様性を求める中で、リクルートが市場からつくってきたとも言えるけれど。

それらに比べて、「商業的合理性の追求」は異色だ。最近こんなストレートな言葉を掲げる会社ってあるのかな。個人的には新鮮な響きを持っている。なぜならいまインターネットによってこれまでのビジネスの常識が変わり、無料経済の顔をしたプラットフォームが市場を食い尽くそうとしているから。改めて示唆に富んでいる気がする。

今のネットは多くの消費者と一部の生産者をエンパワーメントしているが、多くの生産者は消耗戦のような戦いを迫られてジリ貧になっているんじゃないか。ネット流儀に従って、無料化したり価格を安くしたりして継続できなくなっていくなんてよくある話。広告の単価が下がる一方で、メディアも運営が厳しくなり、結果クライアントにとっても効率的にアプローチできる環境が失われていく、とか。

思想は、ニーズやテクノロジーを超えていく

一方で、リクルートの事業の多くは、クライアントとカスタマーをメディアによってマッチングするというモデルだけど、紙からネットにしてもお金の流れは変わっていないという。いかに効率的にマッチング発生させるかのみが重要で、紙でもネットでもチャネルなど関係ないと割り切っているらしい。僕はこれこそ「商業的合理性の追求」なんじゃないかと思った。そしてそのおかげでリクルートは、あんまりネット化できているイメージは無いにも関わらず、実はかなりの売り上げ規模をネットから獲得している。まぁ印刷配布するよりコストは下がるからね。

この前何かの記事で、MITメディアラボ副所長の石井さんの講演レポートを読んだが、そこに印象的な表現があった。「テクノロジーの寿命は1年、ニーズは5年、しかし理念は100年生きる」と。かっこいい…。しかし本当にそうだよなと膝を打った。もちろん頭で解るのと実践するのでは難易度に天と地の差があるから、頻繁に引用したらダサくなっちゃいそうだけど。

話を戻すと、「商業的合理性の追求」という江副さんの言葉にどのような意図や狙いがあったのか知らないし、上記のマッチングプライスを軸にしたビジネスの展開と関係あるのかも分からない。ただ、そんな気がする。リクルートがお金的なことを言うと、それだけで毛嫌いする人も多いかもしれないけど、僕には市場構造に基づいた『三方よし』の具体策のような気がした。いや言いすぎた。でもそれは間違いなくネットの覇者と言われるgoogleなどとは違う思想だし、今ネットビジネスに求められているものだろう。

やっぱり創業者の思想は、公式文書から消えたとしても、サービスから見えなくても、社員の判断の中を生き続けているのだと思う。言葉は人から人に宿って、その形を変えたりもしながら、伝染するように生きていく。オウンドメディアで昔の経営原則について言及されるなんて、中の社員さんからしたらとんだ迷惑だろうけど(笑)

by 高木新平(@shimpe1