「ルールが変わることは歓迎」、iPhoneアプリの第一線を走り続ける深津貴之氏の思考法とは

 

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深津貴之氏は、iPhoneアプリ「ToyCamera」をヒットさせて以来、スマートフォンアプリの第一人者として活動を続けている。1年経てばルールが変わる激動のスマートフォンアプリの世界で、深津氏はいかにして変化に対応してきたか。「ルールが変わってリセットがかかることは、むしろ歓迎」と話す深津氏の思考法を聞いた。

 

プロダクトデザインの役割は「製品に何を入れないか」を決めること

今回は、深津氏の出発点にさかのぼって話を聞くことにした。深津氏は、武蔵工業大学(現在の東京都市大学)環境情報学部 都市情報研究室を卒業後、ロンドン芸術大学内のカレッジの一つ、Central Saint Martins College of Art and Designに入学し、プロダクトデザインを専攻する。

このプロダクトデザイン科のオリエンテーションで聞いた内容を、深津氏はよく覚えているという。「『流線型のかっこいいテレビ』を作る人は私たちには必要ではありません。それはスタイリングの仕事で、デザインではない」。プロダクトデザインとは外見をいじることではなく、「何を入れて、何を入れないか」、製品そのものを設計する仕事だというのだ。

デザインを学ぶかたわら、深津氏は自身のブログ「fladdict」で情報発信を続けた。「ロンドンは物価が高い。さらにプロダクトデザインはモノを作るので、何かといえばお金がかかる。その点、お金をかけず世界中に情報を発信できるインターネットはすばらしいと感じた」と話す。

ブログで取り上げるのは、Flashテクノロジーなどに関する最新の話題だ。Webの技術雑誌に記事を執筆する機会もあった。いつのまにか、「Webの世界で名前が知られた人」になっていた。

そんな中、中村勇吾氏らが立ち上げたデザインスタジオtha ltd.から「声をかけられて」同大学を中退。帰国し、就職する。2005年のことだ。

深津氏はtha ltd.で3年半働いた。仕事の中心は、Flashを駆使したWebサイトの構築だ。「自分の役割は、実装7のデザイン3ぐらい。中村さんたちの考えを、手を動かして実現する部分でした」。この時期にFlashの実装スキルを磨いたことは、後に、iPhoneアプリをFlashでプロトタイピングする独特の手法に結びつく。

「たぶん、自分の人生で一番濃密な仕事をしていた時期」だったとtha ltd.での体験を振り返る。「同じような仕事は2回やらない。毎回、誰もやっていない『何か』が1個は差し込まれる」。例えば、「ActionScript3を使った最初の商用案件」など、なんらかのチャレンジを含む案件ばかりだった。MoMA(ニューヨーク近代美術館)の特別展サイト「Design and the Elastic Mind」など、思い出に残る仕事がいくつもある。

そして、「同じような仕事を2回やらない」考え方は、実は独立後の深津氏にも大きな影響を与えたのだ。

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辞めると決めた「後に」最初のiPhoneアプリがヒット

深津氏は2008年の秋、tha ltd.を辞めることを決心する。仕事は充実していたが、常に独立を意識していた。「うち(tha ltd.)は3年で閉じるから」と言われて、それを真に受けていた世代だったと、深津氏はいう。

「tha ltd.を辞めるのを決めたときは、計画もなにもなく。3年働いたし、充電するつもりでした」

同じ頃、最初のiPhoneアプリを開発した。だが、この時点ではiPhoneアプリが仕事に結びつくとは思っていなかった。

2008年の半ば、tha ltd.は商業案件の受注を一時期止めた。展覧会を開くためだ。同じ時期、日本国内でiPhoneが発売されるとのニュースが伝わってきた。しかも、それまでiPhoneのアプリ開発環境は外部開発者には公開されていなかったが、この時期にiPhone SDKも公開された。深津氏は、この機会にiPhoneを勉強してみようと考えたのだ。「tha ltd.は前例がないものをとりあえず触ってみることが推奨されていた」社風だったこともある。こうして、深津氏は最初のiPhoneアプリ開発者の1人となった。

最初のアプリ「ToyCamera」は2008年6月に完成し、App Storeで販売するための審査に出した。トイカメラ風のエフェクトを付けた写真を撮影できるカメラアプリの、先駆者的な存在である。「ところが、3カ月も音信不通が続きました」。2008年7月11日──日本国内で初めてiPhoneが発売された当日になっても、アプリは公開されないままだった。「たぶん、審査がパンクしていたんでしょうね」と深津氏は笑う。

2008年の10月、ようやく「ToyCamera」が公開される。これが売れた。

「よく、『ToyCameraが売れたから辞めたんでしょう』と思われがちだけど、実は順番が逆なんです」と深津氏は言う。

ルールが1年で変わるスマートフォンアプリ分野でトップを走る

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深津氏が開発したカメラアプリ。左から「ToyCamera」「QuadCamera」「TiltShiftGen」

 

今、深津氏の仕事の99%は、スマートフォンアプリ関連だ。

iPhoneアプリ「ToyCamera」をリリースしてからしばらくは、「自作アプリの売上げで食べていた」という。2009年には、カメラアプリの第2弾「QuadCamera」、第3弾「TiltShiftGen」を世に出し、いずれもヒットした。どちらも世界市場を狙ったアプリだ。

「TiltShiftGen」はティルトシフトレンズと同様の効果で、実風景をあたかもミニチュア写真のように加工する効果を付けた。「次の年から、コンデジにミニチュア効果の機能が付くようになりました。そのときは『やったぜ』という感覚でしたね」。

これらのヒットで生活のお金の心配がなくなったところで、「個人では作れないアプリ」を作るべく、受託開発を手がけた。その中に、「PhoneBook」プロジェクトがある。iPhoneを挿す「絵本」とアプリとを組み合わせた、子ども向けコンテンツだ。このPhoneBookでは、アプリ開発前に作られたイメージビデオがあり、そのビデオを実現する過程でiPhoneアプリのエキスパートとして、深津氏へ声がかかった。アプリ制作者の観点から「この表現はできる、これはできない、と切り分けたり、逆提案をしたり意見を出しながら」実装を担当したPhoneBookは「カンヌ国際広告祭2010」で「Cyber Lion SILVER」(サイバー部門銀賞)を獲得した。「自分が実装の中心に入ったプロジェクトで賞をとれたことはラッキーだった」と語る。

最近の仕事では、同じくtha卒業組でINFOBARなどのUIを担当した奥田透也氏と共同で関わった、日本テレビの番組連動アプリ「フリフリTV」がある。「番組表など他の機能は全部なくしましょう、と無茶な提案をして、通りました」。その結果、できることは、番組のプレゼントに応募するといった、「スマートフォンを振って番組を応援すること」に絞ったアプリとした。

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ルールが変わってリセットがかかることは「歓迎」

今の仕事はスマートフォン関連の受託開発を中心に行っている深津氏は「決まっているものを作ってください、という仕事は意味がない」と言う。「何を」作るのかを意思決定者と一緒に作り上げていける案件がメインだ。

仕事が来るときには、ブログか本かアプリを見て依頼されるパターンが多く、それを課題でもあると捉えている。「カメラアプリで知られているとカメラアプリの仕事しか来なくなる」からだ。最近は、わざとカメラアプリは作らないようにしている。

スマートフォンアプリの世界は動きが激しいが、深津氏自身は「その方が面白い」と感じている。「当初は、100円のアプリと200円のアプリが闘う状況だったのが、やがて無料アプリと有料アプリの戦いになった。その後アプリ内課金など別のビジネスモデルが登場した」。ビジネスモデルや競争のルールが、刻一刻と変わる。

深津氏は、こう語る。

「実は、ルールがリセットされる方がありがたいんです。同じ案件は2度やらない精神なので」。

前例がないところでどのように足場を作るのか。そこに面白さを感じる。

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「観測気球を上げ続ける」

ルールが変わってリセットされる方がありがたい──この言葉の背後には、変化に対応できるという強い自信が感じられる。いったい、深津氏はどのようにして変化への対応力を身につけたのだろうか。

「一つは、抽象度が高い方法論を大事にすることです。例えば論理的思考の枠組みは、分野が変わっても通用します」。例えば、深津氏は講演でよく「フィッシュボーン図」を紹介する。

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「使ってもらえるアプリの考え方」スマホデザイン会議 2012 忘年会スライド fromTakayuki Fukatsuより抜粋

フィッシュボーン図は「使いにくい」などの問題点を軸に、原因となる要素をツリー状に細分化していくことで、「ふわっとした問題」を分析し、解決に結びつけるための思考ツールだ。「僕は、センスよりメソドロジー(方法論)が重要です、と語るタイプ」と話す。

そうは言っても、デザインには理詰め、論理思考だけでは解決できない部分がどうしても出てくるはずだ。そこを聞くと「気持ちよさ、美しさなどは、(論理的に)プレゼンできない。そこで、プロトタイプ期間とかチューニング期間を取る形で戦術に組み込んでいます」。論理的思考と美意識の両方を高いレベルで組み合わせることで、ヒットするアプリが生み出されていくのだ。

こうした深津氏のやり方から、他の人が学べる部分はあるだろうか。深津氏が勧める方針は「特化しすぎないスキルを学ぶこと」だ。ある分野が廃れても、別の分野で活かせるようなスキルを重視する。例えば、深津氏はiPhoneアプリの開発には乗り出したが、開発言語であるObjective-Cのエキスパートになる道は取らず、プログラマと共同作業をして、自らはUI設計に集中する道を選んだ。

「よく、『fladdict(=深津氏)の話には再現性がない』と言われるのですが、僕としては再現性があるつもりです(笑)。若い人に勧めていることは、新しいものを触り続けること。例えば、調べたことを毎日ブログに書くとか」。

深津氏自身、新しいものへの挑戦は日々続けている。「実は、『観測気球』をいっぱい上げています」。例えば、新しいソーシャルサービスが出てくれば、まず試す。「その中から、これはいけそうだ、というものを表に出すんです」。だから「アウトプットだけ見ていると奇策が成功したようにしか見えないかもしれないけど、実は失敗した試みもいっぱいある」。新しい試みを常に続けること──、これこそが、変化に対応するための基本的な戦略だ。

深津氏の強みは、変化に強いスキルを重点的に学び、ルールが変わることを前提に「観測気球を上げ続けている」ことだ。それは、デザイン分野、アプリ分野に限らず、今の時代を生きるすべての職業人が必要としている思考法なのかもしれない。

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(星 暁雄)