海外企業でインターン、英語が話せないのに講演–チャットワークCEOがシリコンバレーで孤軍奮闘する理由

「シリコンバレーはめちゃくちゃしんどいですよ。固定費は日本の2倍かかるし、おまけにどんどん円安になっていくし。もう死にそうですよ」

冗談交じりに関西弁で愚痴を飛ばすのは、シリコンバレーの自宅でビデオ会議に応じてくれた、チャットワーク代表の山本敏行氏。創業15年目を迎え、これまで一貫して外部資本を入れない方針だった同社は、先日ついに3億円の資金調達を実施し、サービスを世界規模にすべく大きな転換期を迎えている。

グローバル展開に挑み、奮闘する山本氏が見たシリコンバレーの今について、詳しく話を聞いた。

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昭和54年3月21日大阪府寝屋川市生まれ。中央大学商学部在学中の2000年、留学先のロサンゼルスにて中小企業のIT化を支援する株式会社EC studioを創業し、2004年法人化。2011年にクラウド型のビジネスチャットツール「ChatWork」の販売を開始。2012年に社名をChatWork株式会社に変更し、米国法人をシリコンバレーに設立。自身も拠点をシリコンバレーに移し、日夜マーケティング活動に奔走している。

足掛け10年の渡米プロジェクト

山本氏が起業したのは、ロサンゼルスに留学中の2000年、ドットコム・バブル全盛期のことだった。1年間の留学を経て日本に戻った山本氏は、「いつかシリコンバレーにチャレンジしてやろう」と闘志を抱いていたという。

2005年から毎年シリコンバレーへ視察に行き、名だたるスタートアップを訪れたり、カンファレンスに参加したりしながら、そのときを見計らっていた。そして創業10年目となる2011年3月にビジネスチャットツール「ChatWork」をリリース。6月にサンフランシスコで開催された「SF New Tech」において、英語版の提供開始を発表した。350名の観客と1600名のUstream視聴者の前で、人生初となる英語プレゼンを行った山本氏。ChatWorkに対するアメリカ人の反応はどうだったのだろうか?

「LINEのリリースに先行してのプレゼンだったため、ちょっと早すぎたという感は、あったかもしれませんね。『仕事にチャット使うの? え、なにそれ?』みたいな感じで。みんなポカーンとしていました。先取りしすぎたのか、ユーザーはあまり増えていかなかったですね」

日本国内では、チャットワーク社がこれまで提供してきたSEOツールなどの顧客にChatWorkを使ってもらうことで、初期のユーザーを獲得することができたが、アメリカでは、まったくのゼロから始めるしかなかった。このプレゼンを機に、一気にユーザーを獲得しようと目論んでいたが、当ては見事に外れてしまった。

「これは、僕がアメリカ人の働き方や考え方を理解できてないのが原因だろうと。であるなら、僕がアメリカの会社で働くしかないだろうと思って、『TripAdvisor』などの日本市場向けのローカライゼーションなどを手掛けるbtraxのインターンに申し込んだんです。『今まで学生しか受け入れたことはない』と断られたんですけど、いや、僕は働きたいんだとゴリ押しして(笑)。僕はデザインもプログラムもできないんですけど、それでも入れてほしいとお願いしました。最終的には、君たちは日本に進出したいよね? 僕たちはアメリカに進出したいんだと交渉し、バーターでOKしてもらえたんです」

トップ自らシリコンバレーへ入る意義

インターンの2カ月の間に、日本とアメリカのビジネス慣習の違いについて、多くを学ぶことができたという山本氏。具体的なエピソードをいくつか教えてもらった。

「日本とアメリカはビジネスに対する考え方が、何もかも真逆。名刺交換ひとつにしても、日本では最初に行いますけど、アメリカだとお互いに興味を持ったら、最後に名刺交換をする。興味を持ってもらえなければ『名刺、忘れちゃったんだよね』とかいわれて、名刺交換さえさせてもらえません。

他にも、日本で同じ会社に3年間勤めるのは至って普通ですけど、アメリカだと転職を重ねてキャリアアップしていくのが当たり前なので、3年同じ会社にいたら無能だと思われる。

あとは、日本で会議に参加して発言しない人はいっぱいいますけど、アメリカでそれをやったら次の会議には呼んでもらえなくなる。そんな感じのギャップが、いっぱいあるんですよ。そんな文化が違う人たちに対して、日本にいて、まったくの文脈を理解せずにサービスを出すなんて、無謀すぎますよね。シリコンバレーに住んでいて、ユーザーの視点や感覚が自然と理解できている人たちに勝てるはずがないんですよ」

btraxでは、社長室の一角に席を設け、社長の話を聞いたり、商談に参加したりしながら、基本的には自分の仕事をしていた、と笑う山本氏。このままでは学びが中途半端になってしまうと、ある日プロジェクトの進め方を内部から学ぶために、自らホームページ制作をbtraxに発注したという。

「そんなジャッジって、社長にしかできないじゃないですか。居候の身から、急にお金をくれる人になったんで、btraxのスタッフもみんな一気にテンション上がってましたね(笑)」

btraxにインターン中の山本氏(写真左)とbtrax社CEOのブランドン氏

btraxにインターン中の山本氏(写真左)とbtrax社CEOのブランドン氏

代表自らがシリコンバレーに行き、さらに他社へインターンとして入るというのは、あまり聞いたことがない。なぜそんなチャレンジを選んだのだろう。

「例えば、大企業の社員の人が海外に派遣されて、『こっちのトレンドはこれだ』と上司に伝えても、海外を知らない上司には理解してもらえないんですよね。駐在員も3〜5年で日本に帰りますし、海外での失敗が日本の昇進に響くとなれば、誰もチャレンジしませんよ。だったら自分自身の目で確かめて動いたほうが格段にいいんです」

シリコンバレーで、これまでの起業家人生をリセットして生まれ変わる

ロサンゼルスへの留学経験があったとはいえ、シリコンバレーに行ったときの山本氏の英語レベルは、日常会話レベルだったという。それにもかかわらず、妻子を連れてシリコンバレーへ移住する決断を下した山本氏の胸中は、どんなものだったのだろうか。

「一言でいうと、エイヤーという気合しかないですよ。シリコンバレーは家賃も人件費も保険も、ありとあらゆるものが高くて、日本の2倍はします。おまけにどんどん円安になっていくし。もう死にそうですよ(苦笑)。それでも行こうと決めたのは、正直、日本での経営に物足りなさを感じていた部分があったかもしれない。

僕はまだ30代なのに、日本にいると、各地での講演やインタビュー取材、出版などアウトプットばっかりしていて、成長するためのインプットができていない実感があったんですよね。本当にこのままでいいのかなっていう気持ちが、少しばかりありました。だから決断したときは、もう一回、人生リセットして、チャレンジしてやるかという感じでしたね」

シリコンバレーでの新たな生活について、“前世の記憶を持ったまま、生まれ変わったみたい”と楽しそうに話す山本氏だが、文化の違う異国で孤軍奮闘する厳しさについて、次のように語った。

「そりゃ、しんどいですよ。アメリカに行って、半年も経たないうちに『スタンフォード大学で日本のアントレプレナー代表としてパネルディスカッションに登壇してくれ』っていわれて。プレゼンだったら原稿を作ればいいですけど、パネルディスカッションなので、どんどん質問が飛んできて、その場で答えないといけないじゃないですか。

僕の他にも、中国と韓国のアントレプレナーが1人ずつ出ていたんですけど、僕以外はアメリカの有名大学を出た英語ペラペラの人。聴いてる人たちも、当然アメリカの企業から派遣された客員研究員みたいなエリートの人たちばっかりなんですよ。そんな中で『日本代表のアントレプレナーです』って紹介されて…もう冷や汗しか出ませんでした。

もし質問が聞き取れなくても、前の人の答えから推測できるように、どっちから当てられても大丈夫な、真ん中の席に座ったりなんかして(笑)。ビジネス英語がまともにできない僕にとっては、ほんとに人生で一番長い1時間でしたね」

スタンフォード大学で講演会をする山本氏(右から2番目)

スタンフォード大学で講演会をする山本氏(右から2番目)

プロ野球でいう1億円プレイヤー級の人材が、シリコンバレーに挑戦して初めて日本は変わる

ここ数年、日本では創業間もないスタートアップが、大規模な資金調達をするのも、何らかの賞を取って渡米するのも、決して珍しいことではない。この現状を山本氏はどう見ているのだろうか。

「僕なんかは10年間、地道に組織を固めて、自己資金も貯めて、世界に通用するプロダクトを作り上げて、ようやくシリコンバレーに来ることができたわけですよ。それなのに、20代のスタートアップがポコポコ出てきて、ひょいひょいっとシリコンバレーに行くんですから、悔しく思いますよね、正直なところ。こっちはどれだけ時間をかけて歯を食いしばってやってきたと思ってるんだ、と。

でも、僕たちより一足先に台頭して、当時もてはやされてた人たちは、どんどんいなくなっていきました。それはそうだろうと思うんですよね。大学生、もしくは大学卒業したばかりで起業して、そのタイミングで起業ブームがやってきて運良くシリコンバレーにポンと来ちゃったんですから。例えるならば、日本の少年野球の4番バッターが全国大会に出たくらいで、メジャーリーガーの球に当たるわけがないんです。ちゃんと日本のプロ野球で1億円級のプレイヤーがイチかバチかのチャレンジをして初めて、通用する人が出てくるんです。

政府は5年で200社を日本からシリコンバレーへ送り込もうとしています。自力で来られない会社を後押しする取り組み自体はもちろん素晴らしいけれど、そうじゃなくて、僕らみたいに自力で進出してがんばってる人も応援してよ!って思う部分も正直ありますよね。(笑)今となっては頼りたいこともなくなってしまいましたが。

本当なら、日本のプロ野球で大活躍しているようなレベルの上場企業の社長・幹部クラスが、裸一貫でシリコンバレーのメジャーリーグにチャレンジしてもらいたい。そうしたら、日本は変わると思うんですよ。社長室で踏ん反り返ってる場合じゃないですよといいたいですね(笑)」

Slackのおかげで、味方ができた

シリコンバレーでは、雨後のたけのこのごとくあまたのビジネスチャットツールが登場し、“チャット戦国時代”の様相を見せていた。しかし、1年前に「Slack」が現れ、エンジニア向けチャットサービスのユーザーを飲み込んでしまった。Slackの時価総額は$2.8B(3500億円)。これはChatWorkにとって脅威ではないのだろうか。

「よくいわれるんですけど、それが僕たちにとって、ちょっとありがたいところもあるんです。もちろん焦る部分はありますが、Slackのおかげで競合が出てくるスピードが格段に遅くなりました。Googleがいるのに今から検索エンジンを作ろうとする人がいないのと同じですね。

また、今まであったエンジニア向けのチャットツールは、Slackのせいで、ほとんど消えてしまいましたから。それらは今、小さいところ同士で買収合戦になっています。でもChatWorkは今も伸び続けています。それは、ChatWorkはもともと非エンジニア向けに作られているからです。非エンジニア向けのサービスはリーチするまでに時間がかかるんですけど、一回浸透すると、ユーザーは簡単にやめないっていうメリットがあります。そこを見越してサービスを立ち上げたのです。

チャットツール市場の動向については、Twitter、Facebook、Instagramに一括投稿できるHootSuiteが出てきたように、チャットツールをまとめようとするサービスが出てきています。

『自分たちのまとめツールにChatWorkも載せたい』と連絡してきた人と会ってよくよく話を聞いてみたら、『もともとビジネスチャットをやっていたけど、Slackにユーザーを全部持って行かれて、まとめる側になった』と(笑)。面白いのが『Slack一強になってしまったら、まとめツールの俺たちもまた死んでしまうから、ChatWorkをめちゃくちゃ応援する』というんですよ。

他にも、SlackのUIで有名になった『MetaLab』っていう会社があるんですけど、僕たちもシリコンバレーでUIを全部変えようとしていて、MetaLab以外の会社を探してコンタクトを取ってみると、みんな鼻息が荒いんですよ。

CEOがいきなり出てきて『俺はもうマネジメントしかしないと決めてたけど、ChatWorkだけは俺がメインで入るから、思いっきりやらせてくれ! お前たちが打倒Slackなら、俺たちは打倒MetaLabだ!』って燃えてくれて。不思議なことに、Slackのおかげで味方が増えてきているんですよ(笑)」

ここまで来たら、あとは攻めるだけ

アジアで資金を得ながらUSに投資するという、攻めのスタイルに転じたChatWork。代表が日本のオフィスを空けることに、不安はないのだろうか。

「うちは弟がCTOをやっていて信頼関係もありますし、もう1人の役員も僕よりひと回り上で、上場企業の役職を長年やってきた人なんで、マネジメントも安心して任せられる。このチームのおかげで、僕は後ろを振り返ることなく、創業経営者のエネルギーを思いっきりシリコンバレーにぶっこんで行けるんだと思います」と、長年かけて築き上げた、組織に対する自信を見せる山本氏。

「僕らもまだ、この先もシリコンバレーで残れるかは、正直わからないです。けれど、シリコンバレーでの攻め方が見えてきたので、あとは実施するだけ。そのためにはお金が足りないんで、このまま資金を入れずに中途半端に終わるくらいだったら、入れてしまおうと決定をして、資金調達に踏み切りました。

最近、アメリカでスタートアップのトップをやっていたバイリンガルのカントリーマネージャーもジョインしたし、これからどんどんシリコンバレーでも新しい人を入れていきます。アメリカでのマネジメントは想像もしてないような問題も起きると思いますが、それらも含めてもみくちゃにされながらも楽しんでやっていきたいですね。そうした経験から得られるものって、すごく大きいと思うので。日本とアメリカの会社経営ができるマネジメントの“バイリンガル”を目指してます。自分は実験台として、後輩の日本のアントレプレナーたちに伝えていきたいです」