面白ければなんでもあり――電撃文庫・三木一馬さんのラノベ的仕事術

「ラノベ」――ライトノベルを指すこの言葉はすっかり世の中に定着したが、ほんの少し前までは、SFやファンタジー小説と何が違うのか?お決まりの展開とビジュアル満載で小説と呼べるのか?といった疑問や批判にも晒されてきた。しかし、いまやこれ無しでは出版市場は成立しないだけでなく、アニメや映画などで原作として取り上げられ、日本のポップカルチャーが生まれる最前線ともなっている。

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出版不況にあっての「金脈」――出版各社がこの分野に次々と参入する中、角川歴彦氏によって1993年に創刊され、その草分け的となった電撃文庫の存在感は際立っている。その電撃文庫を率いるのが、三木一馬さん。『とある魔術の禁書目録』『ソードアート・オンライン』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などの人気作を手がけ、2001年の編集部配属以来、500冊以上を担当、その累計部数は6000万部を突破したという。12月10日に「面白ければなんでもあり 発行累計6000万部――とある編集の仕事目録」を出版した三木一馬編集長に、出版トップランナーの仕事論を中心にじっくり話を聞いた。

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コミケにも行ったことがなかった

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本の中で明かされていますが、この業界に入る前はコミケにも行ったことがなかったそうですね。

お恥ずかしい話ですがそうなんです。22歳のときにはじめて「コミケはこういう場所だ」と同期社員から教えてもらったとき、「え!? そんな世界があるの!?と、かなり驚きました。なので、この業界に進む人たちからすれば、「なんだお前は」という感じだと思うんですけど、実は就職活動でも出版業界に絶対に進みたい、という気持ちを強く持っていたわけではないんです。好きなマンガは? と聞かれれば「週刊少年ジャンプです!」という具合で、お前もっと凝ったもの読めよ!と突っ込まれてました。

大学は理系の物理専攻で、青色LEDの実験をやっていました。ただ、周りが天才過ぎて学部でドロップアウトしてしまい大学院には進めなかった。でも、楽しい話――それも妄想を交えながら――を人にするのが昔から好きではあったんですね。じゃあ、それを仕事にできないかと思って、システムエンジニアや研究職といった理系の就職先は選ばずにマスコミを受けました。しかしどこも受からず……、僕を拾ってくれたのはメディアワークス(現在のKADOKAWA)1社だけだったんです。それも、採用理由が「こいつは十中八九ダメだけど、もしかしたら化けるかも知れない爆弾枠」という謎の枠で滑り込みました(笑)。

出版社で具体的にどんな仕事をするのか、みたいなイメージもなかったわけですね。

出版社はかなりの倍率ですから、そこに就職できた人は選ばれし者=エリートみたいな意識を持ちがちじゃないかな、と思うんです。ただ僕は物理学もダメだった上に、さんざん面接で落されたこともあって、「最底辺の落ちこぼれだ」という自覚がメチャ強かったです。でも一方では「一度会社に入ったなら、結果を出す前から権利を主張するのはダメだ」という自分なりの矜持もあって、なんでもやってやろう、と意気込んでいました。手前味噌ですが、自分は「環境に適応する能力」は高かったように思うので、とにかくそれを活かそうと考えました。

しかし、当時は「ラノベ」とは何かまだ定義もなかった時代です。どう結果を出すか?も手探りだったのではありませんか?

僕が入社する前から、『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』などの大ヒットがあったにもかかわらず、いわゆる「ラノベ」が万人に周知されているわけではありませんでした。ですから、一般的には、あまり知られてもいないマイナージャンルという印象を抱きながら、仕事をしていました。

当時の「ラノベ」は、ファンタジーとかTRPG(テーブルトークRPG:紙とサイコロを使って進行するロールプレイングゲーム)の流れですね。

はい。それらの作品は30万部とか40万部売れていて、僕も当時びっくりしました。有名なマンガよりも売れているタイトルがいっぱいあったんです。で、あわてて読み始めてみると、「面白いな!」と(笑)。実はそれまで、カール・セーガン著『コンタクト』くらいしか読んだことがなかったのですが、電撃文庫編集部で『ブギーポップは笑わない』という名作と出会ってしまったんです。これは本当に素晴らしい作品で、いままでマイナージャンルだったラノベの概念をぶち壊したと思います。そして数多くの読者をこじらせたと思います(笑)。

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『ブギーポップは笑わない』は、格好良くて、オシャレで――読み込むにはある種の素養が必要だった既存の作品群に比べ、言葉を選ばずに言えば「普通の人」にも読める内容だったんですね。僕はこの作品で「こんな『面白い』も、受け入れてくれる場所なんだ」と気がついたんです。有名人でなくてもいい、大作家でなくてもいい、内容が面白かったら評価されて結果が出る市場。これはすごく健全だなと思いました。

たしかに今までのファンタジー小説はTRPGをやっていればより楽しめる要素が大きいですし、指輪物語でその基本を学んでいればこそ、という部分はありますね。ブギーポップは間口が広いし、物語としての面白さで勝負できるというのは、従来の小説からしても斬新だった、というわけですね。

ブギーポップは今も売れているロングセラー作品です。電撃小説大賞に応募してきてくれる新人さんも「ブギーポップを読んで応募しました」という人がたくさんいます。今の電撃文庫の流れを切り拓いた作品だと思います。

なぜラノベはここまで受け入れられたのか?

いま頭打ちも指摘されていますが、それでも250億円規模で、文庫本市場の2割を占めるに至りました。「面白さ」で評価されるとはいえ、なぜここまで大きくなったのでしょう?三木さん自身振り返ってどうですか?

2000年にメディアワークスに入社したころ、いわゆるラノベレーベルは富士見ファンタジア文庫、スニーカー文庫、コバルト文庫など、ほんの数社のものだったと思います。いわば知る人ぞ知るというジャンルだったわけですが、僕は「ファンタジー・TRPGはこうあるべき」みたいな「英才教育」を受けてはいませんでした。そこに、異端なブギーポップが登場し、道筋を示してくれた。作家と僕が「面白い」と感じたことをひたすら形にしていこう、と決心し愚直に取り組んできました。それではじめて結果が出せたのが『灼眼のシャナ』でした。

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これは音楽とか映画とか、どんな作品作りにも通じる話だと思うんですが、必死に作っていたら「今自分がつくっている『これ』が流行の最先端/ど真ん中だ」という感覚は(必死すぎて)認識できないと思うんです。汗水垂らして一所懸命作っていたら、周りがそれにジャンルという称号を与えたり、評価してくれたりする……「ラノベ」ジャンルもそうだと思うんですね。ですから、電撃文庫はとくに「ライトノベルをつくる」という考えを持ったことはありません(周りの方がそう認知していただくのはもちろん構いません)。

ネット・ゲームの影響で若者の活字離れが進んだなどとも言われましたが。

たしかに販売の推移に現われる「本離れ」はあると思います。でも「活字離れ」はしていないと僕は思っています。もっというなら「物語主義」という考え方がとても増えていると思います。ネットでは、コンテンツの多くが物語調で書かれたテキスト(活字)ですし、図書館の稼働率自体は年々上がっています。そもそも美少女ゲームは、テキストを読んで進めて行きます。「文字を追いかけて物語を楽しむ」活動は昔より増えているはず。今の方が、僕たち文字を扱う人間は戦いやすいと思っています。

でも三木さんが売っているのは「本」ですよね。それでも戦いやすいというのは?

本というパッケージで考えるとたしかに厳しいかもしれません。でも、面白い作品がまずあったとしたら、それをどんなパッケージにするのか? どんな媒体で売るのか? キャラクターを押し出して商品として売っていくのか? そういうところから売り方を考えていけばいいのではないでしょうか。昔よりも、本以外の展開が受け入れられているなら、それをちゃんと理解した上で展開案を練るのも編集者の腕の見せどころですね。

なるほど。では、書き手としてはどうでしょう? ラノベの新人賞である電撃小説大賞には「本を出したい」という作家志望の人が押し寄せています。そこにはミスマッチはないんですか?

僕が書いた本の第三章で詳しく紹介しているのですが、実はラノベブームの前に、2000年代前半にPCゲームのブームがあったんですね。そこで経験を積んだ絵師さんや書き手の方が、その後ラノベに数多く参加しました。なので、「本」をゴールにしてこの世界を目指している方が多いか、というとそんなことはないと思います。「多くの人に自分の作品を見てもらいたい」ということが共通であるだけなのではないかと考えています。

それ以前は、文芸誌の掲載を勝ち取らないと小説家としてなかなか厳しいという時代がありましたが、そこではなく、作品の発表の場をPCゲームに求めた人たちがいた。その流れが今も受け継がれているということですね。

そうですね。TRPGでゲームマスターやっていたような人が、「こんな設定でみんなが遊んでくれたら楽しいだろうな」といったノリで物語を書き始めた。そんな方がゲームクリエイターになったり、作家になったり、というケースですね。

「メディアミックス」という言葉もありますが、文字で読む物語とその後の展開の楽しさを作り手と受け手の両方が共有していたということかもしれませんね。

「面白いければなんでもあり」――編集部一人一人の裁量に任せる

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それにしても、そんな中、三木さんが所属する電撃文庫がヒットを連発できたのは何故なのでしょうか?

その理由がピシッと分かっていれば、これからもヒットばかりで苦労がないんですけど(笑)、ただ1つだけ電撃文庫編集部の特徴として挙げるとすれば、伝統的に「各編集者の裁量に任せている部分が大きい」ということですね。簡単に言えば、ある条件を満たせば好き勝手できるんです。

僕はこれを勝手に「鵜飼いの鵜」に喩えています。一見、ネガティブなイメージを抱くかもしれませんが、そんなことはありません。鵜飼いは、いったん鵜を放ったら、やり方はそれぞれに任せます。ようは、魚が捕れれば良いんです。それと同じで、僕も若い頃はかなり放任されていました。たとえばですが、担当編集がOKでも編集長がダメを出したら出版ができなくなる……というケースが業界にはあると思いますが、電撃文庫ではほとんどそれはないですね。担当編集が「これは面白い!」と確信したらそれで良い!という考えです。

とてもよく分かります。わたしも編集さんと盛り上がった企画が、その上長や営業の方から横やりが入って、いろいろこねくり回すうちに、もとの「面白さ」からずれてしまうんですよね……。

その方はもちろん責任があるからこそ指摘をされているのだとは思うのですが、部下が「面白い!」といっている企画は最大限に協力してあげる、そういう風土が電撃文庫にはあると思います。

電撃文庫は、三木さんが担当した「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」を見ても、「兄と妹が恋愛する」「妹の趣味は美少女ゲーム」という具合に、かなり攻めている感じはありますよね。企画段階で誰かがNGを出したら、世の中には存在しなかったかもしれないという。

なにか問題が起きたときは編集者の責任ですから、いいんです。「作家を守りたい」――つまり売れなかったり、何か問題になることから作家を守りたいという気持ちが常にあります。でも、その結果面白かったはずの企画が漂白されてしまっては、何のためにやっているのか本末転倒です。ですから、ギリギリまでは攻めるけど、しっかりした信頼関係に基づいて作家とコミュニケーションをとる、ということが大事だと思います。

電撃文庫の奥付に示されている角川歴彦社長(現KADOKAWA会長)の創刊の言葉にもそれはよく現われているように思いました。

「その特異さ故に、この存在は、かつて文庫が初めて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかも知れない。しかし、<Changing Times, Changing Publishing>、時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する」(<電撃文庫創刊に際して>より一部抜粋)

たしかに「俺の妹」では18歳未満の女の子が18禁のゲームを愛好していたりします。でも、そういうことを言いたかったわけではなく、「好きなものは好き。でも認めるわけにはいかない。じゃあどうするのか」といった、思春期に誰もが通る悩みをきちんとドラマとしても描きたかったんです。……もっと下世話にいってもいいですか? 青年誌の不良漫画とかを見てくださいよ。ノーヘルでバイク乗り回してるじゃないですか! それと一緒です。でも実際それを編集部で言ったら、「屁理屈はよせ」って呆れられましたけど……。

(笑)結局それで企画は進んだわけですからね。でも「面白ければなんでもあり」と言いながらも「これはダメだ」みたいなポイントはないんですか?

「全方位を狙ったような企画は、結局どこにも当たらずに全て外れる」という格言のようなものは意識しています。万人受けするものを狙っても、むしろ誰にも受け入れられないんです。まずターゲットを明確に決めて、自分の作品が特定の読者のハートにビシッと届くようにしたあと、いかにそこから間口を拡げるのか、がポイントだと思っています。たしかに「なんでもあり」なんですけど、「面白ければ」という条件がついているのは、そういう意味なんです。

「性癖」を見定め「家訓」を決める

まさにその「面白ければ」の部分を、本書では「性癖」と「家訓」という言葉で上手く説明されているなあ、と思いました。これはラノベに限らず、一般のビジネスとかサービスでにも通じる話だなと。

作家さんが書かずにはおれないような衝動、動機となるのが「性癖」、それを編集者と確認しあって、作品を作って行く過程で繰り返し確認することを「家訓」と呼んでます。

なぜこの作品を書くのか?という強い動機=原点を共有した上で、それをどう表現していくかというルールを確認しあっておくということですね。

さきほど、「俺の妹」のドラマ性について言及しましたが、テレビアニメが放送されたときも、BPOに視聴者から「近親相姦」ではないのか、といったツッコミも入ったんです。でも「違うんです。これは会話すらなかった兄弟がゲームをきっかけに関係を取り戻していく、極めて社会的なテーマを扱った作品なんです」と胸を張って反論することができました。おべんちゃらに聞こえるかもしれませんが、本当に作品の企画がスタートしたのはそこがきっかけだったし、それを僕と伏見つかさ先生は確認しあっているんです。だからどう曲解されても、そうじゃない、と相手を黙らせることだってできます。

「ちょ、ちょっと待ってください! 妹で、ギャルで、エロゲーが好きなんですか?」

「はい!」

「なんでこの妹は、そんなとんでもないことに!?」

「さあ~?」

「出た! いつものノリが……!! クッ……じゃあいま考えますよ! ばっちりストーリーに組み込まれてて可愛さにつながる設定を! えーと……ものすごく生意気で素直じゃなくて可愛くない妹! 兄を兄とも思っていない妹と、そんな妹を冷めた目で見ている兄!」

「ほうほう!」

「そんな仲の悪い兄妹が、よりにもよってエロゲーを通じて絆を取り戻していくハートフルストーリー! 絶対に可愛くないはずの妹を、超可愛く書く! そんな新作はどうでしょう!」

「……それが伏見さんの『性癖』ですか?」

「えぇ……? ま、まあそう……なのかな」

「わかりました。じゃあ、これを『家訓』にしましょう!」

第一章 読者に媚びない作品は格好悪い  ~たくらむ(企画術)~より

ラノベ・小説に限らず、物語って日常では味わえないきわどい体験を提供するものですからね。物語を生み出しつづけることだけでなく、守るためにも性癖・家訓、大事ですね。

「安全地帯から冒険を楽しむ」……そんな体験を提供することを目指しているわけですが、まあ、いまは現実世界の方がスリリングで危険に満ちているという見方もありますけどね(笑)。

そういった原点を大事にしつつ、いかに間口を拡げるのか、というのも気になる点です。

「この人」には絶対刺さるようにという部分は、検討に検討を重ねて組み上げていきます。それこそ、自分が好きな女の子のここが好きだという気持ちをなりふり構わず出し続けるような行為ですね。傍から見たら、「何それキモい」と受止められがちな作業です(笑)。で、そこから拡げる部分はそれとは全く違うアプローチで、ここからはいわば演出・デコレーションの作業だと思っています。せっかくの名作、熱い想いを込めて書いた作品も、読者に伝わらないと意味がありません。「家訓」を確認しながら、より広い層に伝わるように情報を補ったり、物語としてのメリハリが生まれるように伏線を張ったり、雰囲気を盛り上げるイラストを配置していくことが演出だと思います。

その演出も家訓から導き出される必然でなければならない、というのもとても印象的でした。「レールガン」の主人公、御坂美琴は短パンをはいている「はず」だという具合に。

パンツじゃ無くて短パンだと、普通は人気が下がりますからね。たとえば「いちご100%」の大事なパンチラシーンで短パンを穿いていたらどう思いますか!? 絶対ダメですよね!! でも、御坂美琴というキャラクターはパンチラを避けたいはずなんですよね。

格闘しますからね。あとあの性格ですから……。

そうなんですよ。ですから、パンチラは諦めるけれども、「お前なんで短パン穿いてんだよ」って言われたときに、「べ、べつに短パンでもいいじゃない!」といって顔を赤らめてあたふたする様子について、超丁寧にこだわる! むしろそっちのほうが萌えるんじゃね!? という理屈なんです。

「必然」を積み重ねて間口を拡げて行く、というわけですね。

作家よりもその作品に詳しくなる

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ソードアート・オンライン(SAO)はオンラインゲームというバーチャルな世界を舞台にしながら、実際の生死をかけた戦いが繰り広げられるという設定が秀逸でした。

川原礫さんのオンライン小説を、電撃文庫から出そうとしたときに、最も心配したのは「ソードアートという名前のオンラインゲーム」を原作にした小説(ゲームのノベライズ)だと思われないようにしないといけない、ということでした。文庫のタイトルに「オンライン」という言葉を入れるかどうか、ずいぶん迷いました。「しょせんゲームものじゃん」と思われたら損だなと……。どんなに危険な目にあってもセーブポイントから始めれば、また生き返るんでしょ、と。

しかし、SAOはそこにデスゲームという要素が加わっていた。しかも、そのゲーム内では、好きな人に出会える喜びとか、アイテムの錬成に成功したときの興奮が、本当にキャラクターが必死に生きているように描かれていました。ですから、タイトルや内容についてはほとんど変えず、あとはこの感動を多く知ってもらう工夫をすればいいんだ、と考えました。あとは辻褄を合わせる作業として物語の年代をWEB版よりも、少し先にしたり、結末につながる伏線をあらためて設定したり、といった演出を行っていますね。

ちなみに毎年の新人賞(電撃小説大賞)にはどのくらいの応募があるのでしょうか?

だいたい4000作品を超えますね。

「この作品面白いな!」と思ったら、僕も含めて編集者は作者に会いたくなるんですよ。で、実際に会うと、「なんでこんな作品を書こうと思ったの?」って尋ねたくなる。そこのやりとりでは、意外と作者にとっても「そこが評価されるんだ」という発見の瞬間があったり、そこから物語がさらに拡がるきっかけになったりもします。

大賞だけでそのボリュームで、しかも他にも持ち込みや読まないといけない本がたくさんありますよね?

平日でも最低1冊、2冊は読まないと追いつかないですね。休日を入れて月にならすと100~200冊は読んでいるはずです。「書いている作家よりもその作品に詳しくなる」ことを目指して読みます。

え?

現実的には作家の頭の中を超えることはできません(笑)。でも、それくらいの意気込みでとりかからないと、打ち合わせの時に、作家に「見透かされる」んですよ。ちゃんと相手が納得できる指摘や提案じゃないとダメなんです。そのためには、作家が「自分よりこの担当者は作品を知っている、理解してくれている」と思ってもらえるくらい頑張る、という意味です。

単に読んでいるだけでなく、作家がなぜここでこのように書いているのか?といったところまで掘り下げていく読み方なんですね。三木さんいつ寝てるんですか(笑)。

日中は作家さんや絵師さんとの打ち合わせと、会議や書類の捺印などでほぼ埋まってしまいますね。なので、夜中の3時くらいから朝6時くらいまで原稿読んでます。それで昼くらい出社ですね。眠くなったときのキーワードは、「自分が寝ている間に、(地球の裏側の)ブラジル人は働いてなにか面白いことをたくらんでるぞ!」です(笑)。

ともあれ、打ち合わせの席では、作家さんが「え? この文章から、そんなことを読み取れるんですか」というポイントを掴むように意識していますね。さっきの短パンなんかもそういうポイントの1つです。仮に(作家の)鎌池和馬さんが美琴に短パンを穿かせ忘れたら、僕は全部原稿に赤入れるはずです(笑)。

それと、自分でいうのもおこがましいのですが、切り替えと決断の速さには自信がありますね。複数の作品や仕事を抱えていると、次々決めて進めて行かないとあとがつかえるじゃないですか。ですから、そこで先ほどの家訓が大事なんですよね。それを決めておけば、迷う必要がありません。「これで行こう」と即断できます。

「完全に一致?」な作品も――時代の空気をどう読み取り切り取るのか?

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基本線が固まっているからぶれない、それが能率にもつながっていくわけですね。一方で作家、クリエイターは感受性豊かである故に、いろんな悩みも抱えがちです。編集者の仕事の多くがそのケアであったりもしますよね。

編集者のタイプによって千差万別だと思いますが、僕は創作についての悩みには、相当時間をかけますね。ある意味向こうが根負けするくらい徹底的に付き合います。そういうときは睡眠時間削るしかないですけどね。一方で「彼女に振られた」みたいな個人的な悩みは、「簡単だよ。100万部売れたら絶対にそれは解決する。それで、作品の話なんだけどさ」という血も涙もない会話をしたことがあります……。

これだけラノベが人気となり志望者も増えると、そういった設定や物語も似てきてしまったりはしませんか? 時代の空気を切り取った結果として。いまもアニメ放送中の作品が、「似てる」「どっちを見ていたのか分からなくなった」とネットで話題(参考→ねとらぼレビュー)になってますが。

これは繊細な話題ですね……、まずラノベは業界全体では月に100冊は出てるはずです。で、結論からいえば、僕は設定や展開が似てしまっても良いと思っています。

誤解なきようにいいますが、もちろん模倣やコピーは論外です。しかし、同じようなテーマだとしても、ある一定以上の技能を持っている人が書き続ければ、絶対にその内容は大きく違ってくるはずなんです。最初の設定が似ていても、続ける上での「お前なりの『性癖』は何なの?」ということを問い続けていれば、必ず別の物語になります。野球という題材が氾濫する漫画業界でも、完全一致した作品なんてありません。監督を主役にしたり、腹黒高校生が甲子園を金の力で勝ち取ったり、むしろ多様性がとてもあるジャンルだと思います。ですから、逆に「あれに似ているから、ここをちょっと変えていきましょう」という“だけ”は絶対にやめろって言ってます。そこにちゃんとした自分なりのこだわり、性癖があるかどうかをちゃんと確認してからにしてもらいたいですね。

たしかに最初の数話は似ていましたが、話が進むにつれて展開は変ってきていますし、見ていると「作者が表現したかったこと」も違うところにあったということも伝わってきます。

個人的には、あのアニメ2作品はタイミングも含めて偶然の一致なんだと思いますね。これは想像ですが、ラノベで他にも似た作品はいくつかあるのではないでしょうか。売れた企画を後追いするということは、得てして起こりがちなんですが、でも、せっかく作家さんと編集者の二人だけでオリジナルの作品をつくっているのなら、「あれが流行っているから、絶対にあれはやらない」というスタンスを貫くのもカッコ良いと思いますけどね。もちろん売上げや結果を意識しないといけませんから難しいのですが、たとえばそんな妄想トークを作家さんとの打ち合わせで雑談するだけでも、別のアイディアが出てくるきっかけになるかもしれませんから。

誰でも名乗れる「編集者」、だからこそ……。

作家の性癖を見定め、家訓を決めたのち、間口を拡げる作業では編集者の引き出しの多さ、発想力が求められると思いました。三木さんはそれをどうやって培ってきたのでしょうか。

編集者って何か資格が必要な仕事ではないんですよね。単に出版社の面接に受かっただけだったりします。にも関わらず、「この文章はなってない」「この絵は下手だ」と講釈を垂れることができます。なんと偉そうなことか! 一方、作家さんは「面白さ」を競う熾烈な争い(小説賞)を勝ち抜いてきた人たちです。絵師さんだって、絵の巧さの技能そのもので勝負してきている。

そういう人たちに、僕たち編集者は「うまくなるには書きまくることだよ」とよく言ったりするんです。イラストレーターさんには、「とにかく描いて多くの人に見せることだよ」、それ以外に上達方法はないよ……と。

反面、編集者はどうでしょうか? 免許制でない以上、僕は「編集して、編集して、編集しまくるしかない」と思ってるんです。そうしないと、作家さんやイラストレーターさんにもその言葉をかけることはできないですよね。もちろん、編集しまくるその過程では、失敗作も世に送り出してしまうかもしれない。でも、そうしないと道は拓けません。

その過程では失敗もある。

この仕事は出した本の部数が目に見える評価として現われてきますからね。失敗してしまったら……作家さんに、もの凄い勢いで謝ります!!!!

そして、僕は失敗したり予想を外したりしたら、それはまたとないチャンスだと捉えています。「あー!自分は小さい存在なんだ」って思い知らせてくれた作品で、自分にはない感性が世の中にはたくさんあるなと感じます。だから、自分が失敗しても、次に行けば良い。

すこし話はズレますが、たとえば『狼と香辛料』は、仮に僕が担当していたらおそらくヒットさせられなかったと思います。なぜなら、今のようなパッケージングや、経済ファンタジーとして売り出すというやり方をイメージできていなかったからです。それはつまり、支倉凍砂さんが持つ強力な「面白さ」を、より多くの方に伝える解法を持っていなかったということになります。編集者としてはとても悔しいことですが、これが現実です。そんな、僕の矮小なイマジネーションを超えたヒットを記録した『狼と香辛料』は、自分には分からない領域がまだまだラノベにはあると教えてくれた作品です。ほかにも、どんなすごい可能性がここに眠っているんだろう。次はどんな作品をつくれば良いだろう、うおおお燃えてきたぜ! ……とついつい考えてしまいます。

ラノベにはまだまだ未開拓の領域が広がっていると思っています。今回、恐縮ながら本を出させてもらったのも、そこにある「面白さ」をみんなと共有して、ラノベのいろんな楽しみ方を知ってもらいたかったんです。書き手でもよいし、編集を目指してくれてもいい。いろんな形でこの場に参加してもらいたいなという気持ちがあったからです。

失敗も自分が領域を拡げようとチャレンジしている証だから、とも言い換えられるかもしれないですね。

そうかもしれません。失敗も重ねながら編集の腕を上げて行くためには、「学んで、学んで、学ぶしかない」。漫画家も小説家も、そうしていくうちに気がつけば上手くなっている。編集者も同じだと思うんですね。だから、僕は今も圧倒的に時間が足りない中でも、漫画や本を読み続けるし、エンターテインメントにも触れ続けています。アニメは普通に見るし、海外ドラマも見るし、美術館とかテーマパークにも行きます。

2回目ですが、三木さん、いつ寝てるんですか?

たぶんブラジル人が寝てる間に……(笑)。

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「編集者やプロデューサーは良いコンテンツに触れよう」というのはこの業界にいるとよく聞く話だ。しかし、飄々と語る三木さんのそれは徹底した、苛烈なまでの寸暇を惜しんでのインプットだった。「面白ければなんでもあり」というのは、一見、楽しく仕事しよう、というライトなメッセージに読めてしまうかもしれないが、実は「面白ければ」の部分を形にするために、作り手との毎日の真剣勝負に向けた準備をし、作家の頭の中の奥底まで見渡すような視点を得るための格闘がそこにはあった。ラノベ流仕事術には、ライトではないけれど仕事で大切なことが詰まっていると言えるだろう。