40代まで失敗続き、夜逃げも考えた–ニトリとセガサミーの社長はどう大失敗を克服したか

セガサミーホールディングスやニトリホールディングスと言えば、今では押しも押されもせぬ大企業だ。しかし、ここまでくるのに、多くの失敗を乗り越えてきたという。

12月15日に東京・渋谷で開催された「失敗力カンファレンス」のオオトリとなるセッション「失敗を通して学んだこと」で、セガサミーホールディングス代表取締役会長兼社長 里見治氏とニトリホールディングス代表取締役社長 似鳥昭雄氏が、常人なら「乗り越えられない」と感じてしまうような失敗をどのように乗り越えたか、またそれを通じて何を学べたか、をモデレーターである楽天 代表取締役会長兼社長 三木谷浩史氏に語った。

ニトリホールディングスの似鳥昭雄氏(左)とセガサミーホールディングスの里見治氏(右)

ニトリホールディングスの似鳥昭雄氏(左)とセガサミーホールディングスの里見治氏(右)

40代まで失敗続きだった

「創業から現在までのエピソードを教えて下さい」という三木谷氏に最初に応えたのはセガサミーの里見氏だった。

「中学高校の頃から先生に逆らうような子どもだったので、普通のサラリーマンにはなれない、自分で何かを始めるしかない、と感じていました。それで大学を卒業したら、アメリカで新しいビジネスを覚えよう、と計画していたのですが、大学に行きながらバーの事業を始めていました。そこで出会ったのが、セガの前身になる会社のトップセールスマン。その人が豪快な人で、かわいがってもらっていたこともあり、ただでいいので仕事を手伝わせてください、と頼み込んで半年間くらい一緒に仕事をしていました。ところが、その人と一緒だとうまくいかないことも出てくるようになり、独立して、23歳の時に新しい事業を起こすことにして現在に至っています。とはいえ、40代くらいまでは失敗続きでしたけどね。」

学生時代から「普通のサラリーマンにはなれないと感じていた」と里見氏。40代までは失敗続きだったという

続くニトリの似鳥氏は、日経新聞で連載していた「私の履歴書」に触れ、「失敗したことばかり書いていましたので、簡単にお話しますね」と前置きしてから次のように語った。

「大学卒業後、父親の仕事を手伝っていましたが、厳しすぎると感じ、家出。広告会社の営業の職を得ました。ところが“毎月50万稼がないとクビだ”と言われ、1件も取れず、半年後に失業。すぐクビにされなかったのは、当時、そこの営業所長に貸しがあったからでした。その後、10件くらい面接に行ったのですが、すべて落ちてしまい、ダメ元で『このままでは首を吊って死ぬしかありません』とお願いしたところ、雑用係として再雇用してもらえました。ところがまたしてもクビになる事態に。『もう生きていけないんじゃないか』と思いつつも、なにか商売ができるのではないか、と考えたところ、実家の周りに家具店がないことに気づきました。競争相手さえなければ食べていける。そう考えて似鳥家具店を始めたのです。」

DSC05635 (1)

父親の仕事の手伝いが厳しくて家出した後、立て続けにクビになり「もう生きていけないんじゃないかと思っていた」と似鳥氏。実家周辺に家具屋がないことに気づいたことが転機だった

軌道に乗った事業――抱えた借金

「“最初に”倒産したのは、結婚して1年経ったころの34歳」と、里見氏。当時売上が毎月1億4000万〜1億5000万円ほどあったという。起業して11年でそこまで事業を拡大した。

「でも、6億円の不渡りを出してしまったんですよ。そりゃ倒産しますよね。金策のために歩きまわったときには、にこにこしながら歩いている通行人に対してさえ『何で自分はこんなに大変なのに、みんなは幸せそうなんだ』と苛立ったこともありました」と当時の心境を里見氏は語る。

さらにつらい気持ちを増幅させたのが、人々の態度の変化だという。「それまでヘコヘコ頭を下げていた取引先の人たちが、すっぱりと来なくなってしまった。当たり前ですけどね」。

2号店を出したところで潰れてしまった、というのは似鳥氏。「最初の店は食べていければいいや、という思いもあり、30坪という狭いところでの営業でした。でも、お客さんから『これしかないの?』と言われるようになり、もっと大きなお店を持ちたいという夢を持つようになったんです」。

その夢が実現したのは3年後のこと。「全然資金がなかったので、出店のため100%銀行に融資してもらうことにしました。鉄板の壁で、坪5万円という手作りの、ハリボテのような店でした。雨が降るとお客さんとの会話ができないくらいうるさかったんですが、雨はたまにしか降りませんしね、あまり気にしませんでした」と似鳥氏。しかし、その2号店に暗雲が立ち込めることになる。

「隣に5倍くらい大きな家具店ができてしまった。途端に売上が半分くらいになってしまい、もたずに潰れてしまいました。銀行からも『もう貸せません』と言われ、夜逃げの準備までしていました。」

倒産しても夜逃げしなかった理由

ここで、三木谷氏から「莫大な借金を抱えてしまうと、似鳥さんの話にあったように、ほとんどの人は夜逃げを考えます。それをしなかった理由は何でしょうか?」という素朴な疑問が提示された。

里見氏は「最初の倒産のとき、親が持っていた家屋敷が担保に入っていた」ということを明かした。「このまま取られてしまったら、両親を地獄に引きずり込むことになってしまい、申し訳が立たなくなってしまう。それだけは避けたかったのです」。

DSC05621もちろん、「避けたい」という思いだけで借金がどうにかなるわけではない。「まだ若かったのが良かったのでしょう」と里見氏は振り返った。

「結果的に24億円くらい借金を抱えることになってしまいましたが、倒産したのは、瞬間的な不渡りのため。ビジネスの機会が再度与えられれば、きちんと利益も出せるし、返済もできる、と思いました。そこで、債権者だけでなく社員に対しても真正面から自分の思いを真摯にぶつけ続けました。もちろん、すべての人が理解してくれるわけではありませんが、『もう一度やるのであれば、応援しましょう』と後押ししてくれる取引先も出てくるようになりました。2度目の危機が訪れたときにも、大川(功)さんに自分のすべて――自社株も含め――をさらけ出すことで、78億円を出資していただくことができました。」

ものづくりをするための仕入れを、現実的な方法で助けてくれる人物も現れたという。「信用がないため、仕入れは現金のみ。しかしそれでは商売できるだけのものが仕入れられない。そんなとき、とある自動車関連の会社の人が『部品をこちらで仕入れてあげましょう』と申し出てくれたのです」と助けられた経緯を里見氏は語った。

取り立て人や債権者たちにも真正面からぶつかる方法は功を奏した。「あの当時、借金の取り立てといえば、ヤクザがつきもの。それがキツイから、倒産した起業の経営者のうち97〜98%は夜逃げしてしまうのでしょう。でも、彼らに負けたくなかった私は『あなたたちに借金をしているわけじゃない。あなたたちからは1円だって借りていない。それでもこのように来るのであれば、警察を呼ぶ』と正面切って言いました。結果として、来なくなりました。また、債権者会でも、自分の思いを真正面からぶつけたところ、取り立てもなくなり、やがて再起に至ったというわけです」。

アメリカの豊かさに衝撃

では、似鳥氏の場合はどうだったのだろうか。

「里見さんが言うように、私も夜逃げを考えました」と似鳥氏。しかし、妻子のいる似鳥氏は「夜逃げをするなら、いつ話そう」と思っているうちに機を逸し、アメリカで開催されるという家具業界向けのセミナーに参加することになる。

DSC05633そこで見たものは「びっくり仰天」するほどのアメリカの豊かさだったと振り返る。

「家具の価格が日本の3分の1ほどでした。また、日本と違い、家具をトータルコーディネートするのが当たり前、という文化でした。これはとても魅力的に思えました。そのように、アメリカ滞在中見聞きしたことは『自分も日本で同様の店を作りたい。そして人々の生活に貢献したい』という思いにつながったんです。」

チェーン店を2店舗や5店舗作った程度では、その思いは実現できない。「100とか200とか作らないといけないと考えました。当時の日本では、“5店舗作ったらその会社は潰れる”と言われていました。管理しきれないからです。でもわたしはアメリカのやり方に見習い、100店舗、1000億円の売上を目指しました」と似鳥氏。

そのため、最初の10年で新卒を採用することに力を入れ、次の10年でスタッフを教育し、次の10年で……と段階的に基礎を固めていくことに。「アメリカ人に負けたくない、日本人の暮らしをアメリカ人のそれを超えるものにしたい。そうした長期的ビジョンがあったからこそ、やる気と熱意が湧いてくるのです。そして、執念をもち、実現させるための知識を好奇心を持って取り入れる。ロマン、ビジョン、意欲、執念、好奇心――わたしの中で成功のための5原則と呼んでいるものがあるからこそ、失敗を乗り越えられたのではないか、と思っています」。

DSC05639-side

最後に、これから起業する人へ向けたメッセージを求められた似鳥氏は「チェンジ チャレンジ コンペティション」と、里見氏は「積極進取」と手持ちのボードに書き込んだ。

「蛇が脱皮して成長するように、毎週変わり続けましょう。そうすれば、1年後に52回変化したことになります。そして挑戦し続けましょう。勝たなければ死んでしまいますから、戦い続けましょう」と似鳥氏が述べると、里見氏も呼応するかのように「何事もチャレンジして、新しいさまざまなことを先取りしていくことが大切だと思っています」と自筆のメッセージについて説明。質疑応答でも、同様の考えを敷衍(ふえん)し「若いうちに失敗した方が良い。それも取り戻し、立て直すことのできる良い失敗を。リスクを取って攻めてほしい。逃げゆえの失敗ではなく、果敢に攻めた結果の失敗を誇りに思ってほしい」と締めくくった。