地元では負け組だった、大人気の日本酒「獺祭」を生んだ3つの逆境

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人気の日本酒「獺祭」の故郷は、山口県岩国市の山間部にある小さな酒蔵・旭酒造。酒造りに必須とされる「杜氏」を置かず、冬以外でも醸造する。しかも、携わるのは平均年齢28.1歳の社員たちだ。

そんな型破りな手法がどのように生まれ、これだけのファンを抱える日本酒に成長するようになったのか。旭酒造代表取締役社長・桜井博志氏が8月22日、飲食店向け予約・顧客台帳サービスを手がけるトレタ主催のイベント「FOODiT TOKYO 2016」に登壇し、その経緯を語った。

旭酒造の桜井博志社長

旭酒造の桜井博志社長

地元では負け組――「ならば東京で売ればいいじゃないか」

桜井氏が旭酒造を継いだのは今から30年以上前の1984年。先代による最盛期の3分の1ほどの売り上げしかないころで、山口県東部の市場では“負け組”の烙印を押されていた。

就任早々、それ以外にも3つの逆境が訪れる。1つ目は地元地域の過疎化、2つ目は酒米の調達、3つ目は杜氏の不在。

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しかし「それがあったからこそ成功につながった」と桜井氏は語る。

「日本酒業界の規模縮小のうえ、人口がわずかな過疎の地元を市場にしていては食っていけない。ならば東京に進出すればいい、と考えました」と桜井氏。「もちろん『地元を捨てるのか』という批判もありましたが、それに耐えました。地元で食えないんですから」。

地元の経済連に阻まれて供給を受けられなかった酒米は、県外に求めた。「酒蔵は地元の酒造組合を通じ、また酒造組合は地元の農協を通じて酒米を仕入れるというのが当時も今も常識。でも、もし県内だけで調達しようとしていたら、今季のように12万6000俵使うのは無理だったでしょう。つまり、今のような成長は見込めなかったというわけです。ワインの原料であるぶどうとは違い、お米ならどんなに農家が遠くても問題ない。それで、山田錦発祥の地である兵庫県に行って、必ず買い取るという約束で村ごと契約。酒米として最高級品の山田錦の仕入先を確保できたのです」。

そして、杜氏がいなくなった

冒頭でも触れたが、獺祭造りには杜氏が不在だ。それは酒蔵として常識破りな製法といえる。

「2人目に呼んだ杜氏が優秀だったおかげで、9700万円程度だった年商が2億円まで上がり、製造人員を増やす方向に進んでいった。人を増やすのはいいが酒造りというのは冬の仕事のため、夏場の人件費を工面できない。そこで、夏場に売れる地ビールを作ることにした」。ところが地元の国税局から「『売るために地ビールレストランをやるなら申請を許可する』と言われ、1999年、地ビールレストランを開店することになったのです」と桜井氏。

しかし、2億4000万円という“過剰投資”と、地ビール市場の規模縮小のあおりを受け開店からわずか3カ月で閉館。地元の民報テレビや新聞で報道されてしまったため銀行からの融資が途絶えた。

「『こんなところにいては給料がもらえない』。そう判断したんでしょう。当時いた杜氏がFA宣言してしまったんですよ」。つまり逃げてしまったのだ。よそから呼べる杜氏もなく、「もう後がない」と判断した桜井氏は、若い社員と自分を含め5人で「その仕事をしよう」と決めたという。

「生きるか死ぬか、という状況の中だったので、自分で作りたい酒だけを作ることにした。もし杜氏がいたら止められてしまうレベルのものです。そうしたら、売り上げが2億から40億になった。わたしが社長になって10年で1億未満が2億円に成長した。でも杜氏がいなくなってからの15年間で比較にならないほど成長したんです。このことから、売上が伸びなかった理由が、売れない酒を売ろうとしていたからだ、ということが分かりました。自分たちだけになったしまったことが結果的に良かったんですね」

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経験や勘に頼らない酒造り

そして時代の流れも旭酒造に味方するかのように変化した。「宅急便・コピー・ワープロ。この3つが出てきました。コピー機とワープロの低価格化により、印刷所に頼まなくても情報発信できるようになった。また宅急便のおかげで配送能力を手に入れ、販路を拡大できるようになったのです」。

やがて、「おいしいお酒を飲んでもらいたい」という願いを実現するために、四季を問わず飲みごろで提供できるように「四季醸造体制」を確立。経験や勘があるわけではないため、蓄積されたデータに基づいて湿度・温度の管理を綿密に行い、人によらず均一な味が出せるようになったという。

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「『伝統的な手法で作らなくちゃいけない』って人は言うかもしれないけれど、日本酒のスタイルが確立した室町時代の作り方で作ったものは、今とはぜんぜん違う味。日本というところは自分たちでどんどん改善していくのが文化としてあるのだから、日本酒が時代とともに変わったとしてもおかしくありません。わたしたちが目指すのは手法の確率ではなく、おいしいお酒という結果を生み出すことなんです」

「『獺祭のようなテクノロジーに頼ったお酒は、うちには置かない』と、400店舗以上を抱える飲食チェーン店から名指しで批判されたこともあります。でも、こんなつぶれかけだった、今でもたかだか20〜30億円程度の事業規模しかない地方の酒蔵なのに、遥か上を行く巨人のような存在の企業に気にしてもらえた、ということがうれしかったですね」と桜井氏はあくまでもポジティブだ。「とにかく『大量に消費してほしい』という常識を破れたのは、負け組だったからでしょう」。

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顧客とその背後にある社会に貢献していきたい

桜井氏の「常識破り」で恩恵を受けたのは獺祭を味わう人たちだけではない。

その原材料「山田錦」の生産高を上げるのに一役買ったのだ。

山田錦の生産量は全国で30万俵程度だった。それ以前には40万俵あったのだが、買い取る酒蔵がなかったためそこまで落ち込んだという。そのままの状態では大量に使えない。「幸い温暖化のおかげで、山田錦を生産できる北限が上がってきましてね」と、今度は新潟・茨城・栃木へと生産依頼に出向いた。

農家にとっては、単価がよくても、栽培が難しい山田錦の生産にシフトするのはリスクが高い。

そのため、安定した生産ができるようICT(情報通信技術)分野で富士通とコラボレーションした取り組みを開始。結果として「本気度を理解して振り向き始めてくれた」と桜井氏は語る。現在、日本全国での山田錦の生産量は62万俵以上。農家の収入増にも貢献している。

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現在、旭酒造には良い原料だけでなく良い人材も集まっているという。桜井氏は、「作るのは人間なので良いスタッフは必要。平均年齢28.1歳という120人以上の社員と一緒に作る獺祭は、飲めば自然と笑顔がこぼれるような良いできのため国外でも順調に売り上げを伸ばしています」と自社のスタッフの働きをほめた。

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そして最後に次のような言葉で締めくくった。

「お金になるから、と自分の都合で売るのではなく、隣のおばちゃんが『うちの畑で採れた大根、おいしいから食べてみて』と、幸せを共有したいからすすめるような気持ちで酒造りをしていきたい。企業というものは社会とともにあるんです。酒蔵もお客様とその背後にある社会に貢献するためにある。少しでもおいしいお酒を届けたい――これが今の旭酒造の100倍を超える成長を支える理念なのです」

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