ニッチなTwitter投稿で人気、毎日新聞・校閲グループに「正しい言葉づかい」について聞いた

新聞紙面に掲載される原稿をくまなくチェックし、用字用語や事実関係の正誤を調べ、記事の品質を保証するプロフェッショナルがいる。それが、「校閲記者」だ。

新聞というメディアの信頼性を担保する上で絶対に欠かせない職種だが、脚光を浴びる機会はほとんどない。そんな校閲記者の中で、Twitterアカウント『毎日新聞・校閲グループ』はひときわ異彩を放っている。

開設から約5年。ほぼ毎日、漢字クイズなどのコンテンツを更新し、2016年9月現在のフォロワー数は3万5000を超えている。校閲というニッチな話題ながら、なぜこのアカウントは人気を得たのか。どうしてネットを活用した発信に注力しているのか。

同グループを代表して、岩佐義樹さん、大木達也さん、斎藤美紅さん、塩川まりこさんに話を聞いた。

左から、斎藤さん、大木さん、岩佐さん、塩川さん。

左から、斎藤さん、大木さん、岩佐さん、塩川さん。

日本語に「正しい言葉づかい」は存在しない?

――実は、取材依頼のメールをするときに、緊張していました。

岩佐:どうしてですか?

――「新聞社の校閲部宛に送る文面に、言葉の誤りがあったら恥ずかしいぞ」と。

岩佐:なるほど(笑)。でも、校閲の業務以外、ましてプライベートについては、気にする人と気にしない人、それぞれですね。常日頃から用字用語の統一を徹底する人もいますが、私はそこまでしませんし。みんながみんな、普段からいわゆる“正しい言葉づかい”を意識しているわけではありませんよ。

――ホッとしました。

岩佐:まあ、「校閲なのに(用字用語に誤りがある)……」なんて思われるのはシャクなので、最低限の注意は払いますが(笑)。しかし、そもそも、日本語には“正しい言葉づかい”というのは、厳密には存在しないのかもしれません。

――どういうことですか?

岩佐:日本語には正書法、つまり規範として社会で認められている単語の綴り方が存在しないんです。世界的には国が定めている場合もあるのですが、日本にはありません。

参考:正書法について(報告) – 文化庁

同じ言葉でも、ひらがなで書いたり、カタカナで書いたり、漢字で書いたりしますよね。さらに「越える」「超える」というような同音の漢字の使い分けもある。発音に対して表記が1対1ではなく、無数の選択肢が存在するため、何が正しいというのは一概に決めにくいんです。

――たしかに、英語で「がん」は「cancer」ですが、日本語では「ガン」とすることもあれば、「癌」とすることもあります。「はなし」も「話」と「話し」のように送りがながつく場合もある。そもそも助詞の「は」を“わ”、「へ」を“え”と発音するのも不思議といえば不思議です。どれもある意味、誤りではないのですね。


さらに、助詞でも“わ”と書くこともある。

岩佐:はい。言葉というのは移り変わる宿命にあるので、そもそも正しさを追求することにはあまり意味がないのかもしれません。

しかし、新聞のように広く読まれる媒体においては、一定のルールが必要です。教育の現場であればそれが常用漢字表であったり、新聞であれば共同通信の『記者ハンドブック』や弊社が使用している『毎日新聞用語集』であったりします。

「正しいか」ではなく、ルール・実態に照らして「適切か」

――では、Twitterなどにおいても、「“正しい言葉づかい”を発信している」というわけではないのですね。

岩佐:そうです。私たちが発信しているのは“毎日新聞の新聞用語”であり、“正しい言葉づかい”とは少し違います。あくまでも「私たちはこういうルールでやっています」と。

重要なのは、正しいか正しくないかではなく、ルールと実態とを照らし合わせて、その言葉づかいが適切かどうかだと思います。言葉の「通じやすさ」と言い換えられるかもしれません。そして、どうすれば言葉が通じやすくなるのかを考えるのなら、まず現行のルールを知る必要があります。

――Twitterなどのソーシャルメディアアカウントに投稿されている『毎日ことば』の漢字クイズでは、正答率も公表されています。これも、ルールと実態とを照らし合わせるためですか?



漢字クイズの一例。正しい読みは「おく」(正答率25%)。39%が「かく」と誤答。ちなみに、“擱”は常用漢字ではないため、新聞では“おく”とかな書きにするが、ここで注意。“擱筆”という熟語があり、これは“筆をおいて書くのをやめること”を意味する。つまり、“書くのをやめる”という意味で“筆をおく”を“置く”と書くのは適切ではないのだ。

大木:そうとも言えますが、実は「これが狙い」という狙いはなかったんです。以前から、弊社の新聞紙面では、『週刊漢字 読めますか?』というコーナーを校閲グループが連載していまして、せっかくだからウェブにも展開してみようと並行してソーシャルメディアに投稿してみたら、思った以上に好評だった、と。

過去の『週刊漢字』がスクラップされている。

過去の『週刊漢字』がスクラップされている。

自分たちでは「こんなの、つまんないんじゃないか」と思いながら投稿することもあるのですが(笑)。

――つまらないどころか、Twitterのフォロワー数が3万人を超えるなど、広く支持されています。「校閲」というニッチなジャンルとしては、かなりの人気アカウントですよね。

大木:たくさんフォローしていただいているのはうれしいです。ただ、反響はあまり気にしないようにしています。疲れてしまうので(笑)。

――「バズらせよう」というような下心が透けて見えないことも、人気の理由かもしれません(笑)。

岩佐:ただ、時事性のある投稿をすることもあります。台風の時期であれば“台風の当たり年”という表現が適切か。一見問題がなさそうですが、よくよく考えたり、調べたりしてみると、“当たり年”という言葉は本来、ポジティブな意味で使われます。だから、台風に使うのは適切ではありません。このように、私たちはその時々に伝えたいことを伝えているという意識ですね。

校閲者の役割は「コミュニケーションの溝を埋めること」

――だとすると、このアカウントを運営するモチベーションはどこにあるのでしょうか。

岩佐:そうですね……。例えば、“なし崩し”という言葉がありますよね。これはもともと“済し崩し”と表記されていて、 “借金を少しずつ返済する”という意味だった。しかし今、実態としては“ずるずる時間をかけてだめにすること”の意味で使われています。

言葉は移り変わるものと言いましたが、時としてそれはあっという間です。この言葉もそうで、転じた意味の方がいつの間にか一般的になってしまいました。そのため、場合によっては、紙面でも“なし崩し”を“ずるずる時間をかけてだめにすること”の意味で使うことがあります。

しかし、それでは年長の方など、本来の意味でこの言葉を認知している層には通じないかもしれない。“なし崩しになってしまう”を、筆者と相談の結果“うやむやになってしまう”としてもらったことがある記者もいますが、それができない場合にも、校閲記者には何らかの手段で、このようなコミュニケーションの溝を埋める役割があると思っています。それも、ソーシャルメディア上で本来の意味を発信している理由ですね。

大木:個人個人が話す・書く場合には好きに言葉を使えばいいし、無理にルールに合わせる必要はありません。一方で、新聞用語というのは、それぞれ通じやすさを考えた上で体系化されたものなんです。だから、一定の規範にはなると思っています。現在はウェブの発展によって、文章を書く人が増えてきましたよね。そのような場合には、参考にしてもらえる部分もあるのではないでしょうか。

――最近、ウェブメディアでは校閲が入らないことを問題視する声もあります。

岩佐:例えば政権について論考する文章で、1行目の総理大臣の名前の漢字に誤りがあったら、その先の文章を読む気がなくなってしまいますよね。“安倍政権”の漢字を“阿部”や“安部”と表記してしまっている誤りはよく見かけます。

大木:読者がすぐにそれとわかるような誤りがあると、書いてあること自体の信頼性が揺らいでしまいますよね。やっぱり、しっかりチェックされていない文章がそのまま公開されてしまうのは怖いと思います。

校閲記者はアスリート! 集中力の秘訣とは

――文章の誤りは細かいものから大きいものまでありますが、どうすれば気づけるものなのでしょうか。誤字脱字などのミスをしがちな人も多いと思うので、ぜひお聞きしたいです。

岩佐:時間さえあれば、何度でも読み返すというのが鉄則です。

――ということは、時間がないこともある?

岩佐:そうですね(苦笑)。大事件の時などは、極端に言えば5分後に印刷に回されてしまうこともあります。

――5分! そんなときはどう対応しますか?

岩佐:固有名詞など、最低限のことはしっかり押さえる、というくらいです。逆に、時間があっても、「線を引いているだけで頭に入っていない」というような場合も十分に起こり得る。だから、むしろ大切なのは、集中力の落ち加減を自分で把握しておくことですね。「今、集中していないな」と感じたら、あとでそこを集中してチェックする、というように。

大木:校正・校閲時の精神状態というのは大きいんですよ。気になることがあると、どうしてもそっちに気を取られてしまう。だから、体調も重要です。睡眠不足でもツラいし、空腹でも満腹でも危ない。できるだけコンディションを整えておくのがポイントですね。

――まるでアスリートのようです。

大木:そうありたいだけで、完璧にできているわけではないのですが(笑)。

岩佐:もちろん、失敗して落ち込むこともありますよ。新聞は出たら終わりなので、責任は重大です。でも、それをプレッシャーに感じすぎると、また別のミスをしてしまいますから。あまり考え過ぎないようにしています。

大木:その意味では、翌日に業務を持ち越すことはないので、1回1回が勝負です。本当にアスリートみたいですが(笑)。

「100点を取って当たり前」のやりがいと苦労



同グループは動画コンテンツにも取り組んでいる。これは斎藤さんが解説する“サイトウ問題”。

――校閲記者のやりがいはどんなところにありますか?

斎藤:やっぱり、大きな間違いを見つけるとうれしいですね。しかし、入社したばかりの頃に言われたのが「間違いの近くには間違いあり」ということ。そういう時ほど慎重にならなければいけません。私はそこでよろこんでしまうので、まだまだですね(笑)。

――大きいミスを事前に回避するというのは、たしかにドーパミンが出そうです(笑)。そういえば、以前、作家の石井光太さんの“まぶしいほどの月光”という描写に、新潮社の校閲者が“OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間”とコメントしたことが話題になりました。校閲には幅広い知識が必要とされますよね。

斎藤:もちろん勉強や調査は必要ですが、自分が体験したことがすべて仕事に生きるというのも、この仕事のやりがいですね。私は以前、着付けを習っていたのですが、そのときに“着物の下には長襦袢を着るが、浴衣の場合は着ない”ことを知りました。その後、校閲の業務で「浴衣の襟から覗く長襦袢」という記載を見つけたときに、「これは浴衣ではなく、着物なのでは」と指摘できたんです。

――それはすごい。一方で、校閲記者の大変さはどんなところでしょうか?

塩川:校閲は100点を取って当たり前と言われる仕事です。完璧にこなしてやっとゼロ、間違いを指摘してもプラスにはなりません。それが大変と言えば大変です。

私自身はできるだけ間違いを防ぐために、1文字ずつチェックすることもあるのですが、それだけでは発見できないこともあります。2年くらい前のことですが、“聖地エルサレム”とするべきところを“聖地イスラエル”としているのを見落としてしまったんです。

参考:2年目校閲記者の決意 – 校閲記者ブログ

1文字ずつ読むことで、例えば“イスラルエ”とかになっているわけではないことはわかる。それで「よーし、バッチリ!」と思っていたのに、そもそも根本的に間違っていた、という。自分は言葉の意味をまったく理解せずに読んでいたのかとガッカリしました。

――なるほど、スラスラ読めてしまっても、そもそも言葉の選択に誤りがある場合があるのですね。これは、どんなにツールが進化してもしばらくは代用できない気がします。それこそ、人工知能が人間以上に言葉の意味を理解できないといけない。

大木:ツールはサブ的に使うこともありますが、精度はまだまだなので……。そのような未来は大分先になるのではないでしょうか。やっぱり最後は人の目ですね。

――人が書いた文章の信頼性を担保するには最後は人の目が重要というのは、宿命のようなものなのかもしれません。本日はありがとうございました。

(朽木誠一郎/ノオト)