“人生100年時代”におけるフリーランサーたちのキャリアプランとは? 20代・40代・80代それぞれの見解

65歳で定年退職を迎える――これまで当たり前とされてきた、そんなキャリアプランが崩れ始めている。ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授の著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 100年時代の人生戦略』によれば、2007年に生まれた日本人の半数は107年以上生きると予想されているという。

長寿化が進んだ“人生100年時代”において、我々はどのようにキャリアプランを設計すべきなのだろうか? 今後の働き方やキャリアについて考えるべく、7月6日、テクノロジーで働き方を変えるサービスを展開するランサーズ主催のトークイベント「『LIFE SHIFT』100年時代を考える ~あなたの人生も、100年つづく~」が開催された。

イベントの前半では、『LIFE SHIFT』担当編集者の佐藤朋保氏とランサーズ代表の秋好陽介氏が、これからの働き方や生き方の変化をテーマに対談。

そして後半では、『LIFE SHIFT』で未来の生き方のモデルとして描かれる3つの世代のキャラクターにならって、20代・40代・80代の3世代の方々が登壇。各世代のキャリア観やライフプランについて語った。働き方がますます多様になっていくなかで、今回はクラウドソーシングを活用し、フリーランスとしてキャリア形成している人々にフォーカスした内容となった。本稿では、その模様をお届けする。

“就職”だけがファーストキャリアではない

1993年生まれのウェブディレクター・山田祐太氏

最初に登壇したのは、現在24歳の山田祐太氏。彼は大学を中退して以来、フリーランスのキャリアを歩んでいる。

「このまま大学で勉強を続けて、意味があるのかなと思ったんです。中学生の頃からインターネットビジネスに興味があり、独学でスキルを身につけていたので、思い切って自分でビジネスをやってみようと。それで大学を中退することにしました」

山田氏が考えた、事業のアイデアはアパレルの輸入通販。当時、中国のEC市場が急激に成長していることで、国内では「ECサイトなら中国にビジネスチャンスがある」と話題だったため、中国のファッションアイテムを輸入し、販売することにしたという。

「実際、試しに仕入れてみたら価格が安く、質もよかった。『これはビジネスになる』と思って両親に話してみたのですが、大反対。退学の話もまったく聞き入れてもらえませんでした。ただ、どうしてもチャレンジしたかったので、何度も何度も説得を試みました」

事業計画をはじめ、頭の中にある構想を粘り強く伝え続けていった結果、「あんたは一度言い出したら聞かない子だからね」と、諦め半分な感じで親に認めてもらえたそうだ。

「きっとうまくいくだろうと思っていたのですが、広告費が潤沢にある大企業の足元にも及ばず、蓋を開けてみたら大失敗。3カ月もしないうちに事業を畳むことになりました。自分の目論見が甘かったし、資本力で勝る大企業には勝てないな、と思いましたね」

わずか3カ月あまりで路頭に迷ってしまった山田氏。そんな彼が次に志したのが、現職のウェブディレクターだった。

「アパレルの輸入通販事業を展開するにあたって、ランサーズを利用してECサイトの構築を外部の制作会社に依頼していたんです。その会社のウェブディレクターがすごく仕事できる人で。勝手に憧れを抱き、自分もこの仕事をやってみたいな、と思うようになりました」

もちろん、山田氏はウェブ制作に関してはまったくの初心者。普通だったら、一度事業で失敗したところに、あえて未経験の分野に飛び込んで、イチから知識やスキルを習得しようと思わないだろう。しかし、山田氏は違った。

「大学を中退したからこそ、思い切って挑戦しなくてどうするんだ。今やらなければ絶対に後悔すると思い、ウェブディレクターのキャリアを歩むことにしました」

それから、山田氏はディレクターの知識、スキルを独学で必死に勉強。2014年からランサーズを活用し、まずは興味のある案件に応募。そこで少しずつ実績を積んだ結果、企業から仕事を獲得できるようになったという。

最後に山田氏は、こう語る。

「“人生100年時代”において、自分は何歳になっても、興味を持ったビジネスには挑戦し続けていきたいと思っています。やらない後悔だけは絶対にしたくない。とにかく、今はいろんな経験を積んでいきたいですね」

“成長”と“挑戦”がキャリア形成の軸に

1969年生まれのCGクリエイター・石水修司氏

続いて登壇したのは、今年で48歳になる石水修司氏だ。彼は現在、フリーランスのCGクリエイターとして働いているが、それまではまったく違う仕事をしていたという。

大学卒業後、石水氏は大手食品会社に就職。約23年間、研究員として商品管理やシステム開発、マーケティング、販促用映像の制作などに携わってきた。順調にキャリアを積んでいた石水氏は、なぜフリーランスのCGクリエイターになろうと思ったのか? それは、現状に対する危機感からだった。

「世間ではよく、『40代はハズレを引いた世代』と揶揄されます。バブル真っ盛りの世代の50~60代は、働けば給料が上がるし、年功序列でそれなりの役職に就くことができた。一方、40代は不況で給料が上がりにくく、上の世代が行き詰まって役職も変わらず……。30代はそんな40代の姿を見て、『今のままではいけない』とスキルを磨いて別のキャリアを歩むことができますが、40代はそんな余裕もなく、組織の中に埋もれていくだけ。そういった状況に対し、『現状維持のままではいけない』と強く思いました。とにかく何かに挑戦してみなければ、と」

そんな石水氏が手を伸ばしたのが、クラウドソーシングだ。一般的に、CGや映像制作は企業が請け負うものとされてきたが、クラウドソーシングの台頭によって、スキルさえあれば個人でもCGや映像制作の仕事を請け負うことができるようになったのだ。石水氏は自分のスキルがどれくらい通用するのか。クラウドソーシングの仕組みを活用して、試してみることにした。

「実際にCGや映像制作の仕事を請け負ってみて、お客さんから褒められることもあれば、怒られることもありました。ただ、仕事をしてみて何よりの収穫だったのが、“成長できている”と実感できたことです。『この仕事だったら、都心ではなく地元の愛媛にいてもできる』と思い、2015年に思い切って、独立しました」

46歳のタイミングで、フリーランスになった石水氏。同年代のキャリアと比較したら、異色と言えるだろう。恐れはなかったのだろうか?

「クラウドソーシングの活用で、自分の能力がどれだけ通用するかを知ることができた。これは大きかったですね。とはいえ、CGや映像制作の仕事もいつまで需要があるかわからないし、それだけで食べていけるとも思っていません。引き続き、CGや映像制作の仕事をやりつつ、常にもっとおもしろいことはないかと考え続け、誰もやったことないアイデアを着想して事業にできれば、と思っています」

最後に、石水氏は自身のキャリア観についても触れた。

「私は『挑戦した結果、自分が成長できていると感じられることを何よりも大事にしたい』と思っています。仕事を通して成長を実感できれば、たとえ収入が少なくとも、人生の幸福度は上がるのではないでしょうか」

最年長、82歳が考えるキャリア論

1935年生まれの翻訳家 島村泰治氏

最後に登壇したのは、82歳の島村泰治氏。戦時中に生まれ、10歳の頃に戦争が終結。そんな環境で育った島村氏は、どのようなキャリア観やライフプランを持っているのだろうか?

「日本が敗戦するや否や進駐軍がやってきて、あっという間に周囲は英語だらけになりました。そんな環境で暮らすうちに、『日本を負かしたアメリカはいったいどんな国なのか見に行ってやろう』と。そんな単純な好奇心が自分の原点です。ただ、行くにしても言葉がわからないことにはどうしようもないので、まず必死に英語を勉強しました」

それから勉強漬けの日々を送った島村氏は、20歳を迎えた1955年に渡米。2つの大学に加え、音楽院も卒業した。帰国後は、1970年代から2008年まで在日ノルウェー大使館で主席通訳・翻訳官として翻訳業務に従事。好奇心で身につけた“英語力”というスキルを武器に、30年以上にわたって、翻訳の仕事を続けたというわけだ。そして、その武器は定年を迎えてからも役立ち、こうしてフリーランスの翻訳家・文筆家として第二の人生を歩むことにつながっている。

「自分は現在82歳。100歳まで、あと18年です。いまは翻訳業をメインに仕事をしていますが、今後は自分が何を残し、どう日本に貢献するかを考えていきたい。特に、日本文化を海外に伝えていくことに携われたら」

82歳になっても、自分のやりたいことを追い求め、生き生きと働いている島村氏。最後、若者に対して、こんな助言を送った。

「やっぱり、健康が何より重要ですよ。何を食べるのか、体のどこをどう運動させるのか。どんな人と会って、何を話し、何を感じるのか。自分の精神衛生を保っていくことが必要でしょう。“人生100年時代”を生き抜くために、日々の食事は本当に大切なものです。ぜひ、若い人たちには今のうちから意識してほしいですね」

三者三様、それぞれのキャリア観やライフプランが語られたように、“人生100年時代”においてキャリアプランに決まりはない。自分がやりたいことは何か、人生を通して実現したいことは何か。それを見つけ、取り組むことが100年以上の長い人生を生きていく上で、最も大切なのではないだろうか。