「Slack」や「Qiita:Team」を理化学研究所が導入したら、チームがぐっと良くなった話

クラウドの社内wikiやチャットツール、チケット管理ツールなどは、IT企業にとってもはや欠かせないコミュニケーションツールだ。

しかしこれらのツールは、開発現場での利用を想定したものが多い。IT業界以外でうまく利用している現場はあるのだろうか……と調べたところ、理化学研究所の情報基盤センター・バイオインフォマティクス研究開発ユニットの研究室(以下、ラボ)で活用し、チームのコミュニケーションがより円滑になったという話を知った。果たしてどのような使い方をしているのか。ユニットリーダーの二階堂愛さんに、ツールの活用事例についてお話を伺った。

ライフサイエンス系のラボで導入

我々のラボの研究対象は「ゲノム科学」と呼ばれる分野です。

生き物は細胞の集合体。ヒト1人あたり約36兆個の細胞が集まっており、その種類は約400~数千ともいわれています。それぞれの細胞の中にはDNAがあり、そこには「どういう体をつくるべきか」というプログラム、いわゆるゲノム情報が書き込まれています。

我々のラボは、ゲノム情報を解析する技術を持っています。ここで抽出したデータを情報科学を用いて解析することによって、細胞の持つ機能や将来の変化を予測する研究を実施。「再生医療」の実現や医薬品開発に貢献しています。

二階堂愛(にかいどう・いとし)さん
理化学研究所 情報基盤センター バイオインフォマティクス研究開発ユニットに所属。専門はライフサイエンス(生命科学)。生命科学に革新をもたらす計測や、データ解析技術の研究・開発するラボのリーダー

当ラボは、スーパーコンピューターを使ってゲノム情報を解析するチーム(以下、ドライ)と、実際に細胞からゲノム情報を取り出して計測する実験チーム(以下、ウエット)の2つから構成されています。メンバーは全員で14人ほど。さまざまなITツールを導入したのは、このラボ内での出来事です。

理化学研究所って?

理研は、今年でちょうど100周年を迎える国立の研究所です。生物や化学、物理など、いわゆる自然科学分野の総合的な研究所としては唯一の組織。理研全体としては約3000人が所属し、578のラボそれぞれが研究所のミッションやガバナンスのもと、独立運営をしています。社内ベンチャーがたくさんあるようなイメージでしょうか。

ピラミッド型のような組織構造ではなく、ラボは個々の研究室主宰者のアイデアと責任で研究をしており、スポンサー探しや資金調達も各自で行います。規模も数人から200人以上とさまざま。そのため、研究所のミッションやルールはありつつも、ラボごとにそのマネジメントのやり方やカルチャーが異なります。

現在ラボで活用しているITツール

当ラボで活用しているITツールは、「Qiita:Team」「Slack」「Google+」「Backlog」「Redmine」「GitHub」などです。

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チャットツールのSlackやGoogle+をコミュニケーションの軸にしつつ、研究関連の知識をQiita:Teamでストック。事務手続きや機器管理は、Backlogを使って属人化を防いでいます。数十を越える共同研究の進捗はRedmineで管理し、データ解析のソースコードはGitHubで管理しています。

ITツールを導入してぐっと良くなったこと

会議を頻繁に開かずに多くの最新情報にキャッチアップできるようになった

研究者の価値は、出版した論文の価値で決まります。そのため、自分達の論文出版はもとより、世界中の研究者から発表される最新論文のキャッチアップが欠かせません。そのため、論文を紹介し合うミーティング「Journal Club (JC)」を設定しているラボが多くあります。ただ、最新の論文を日々フォローし続けるのは容易ではありません。

また、近年では論文の正式な出版前に「草稿」を共有する文化が浸透しており、玉石混合の最新情報が日々公開されます。そのような背景から、週1もしくは月1開催のJCでは足りなくなってきています。しかし、ミーティングの回数を増やして研究時間が減ってしまうのでは本末転倒です。

我々のラボでは、定例のJCを開催せずにSlackとGoogle+で情報をシェアしています。日々のニュースや最新装置の情報、論文情報はRSSを使って自動的にSlackに投稿させ、「おもしろいな」と思った論文はラボのGoogle+に投稿。そこで詳しいコメントを書いたり、議論したりしています。

Google+はスレッド機能が便利。論文ごとにスレッドを分ければ、Slackなどのチャットシステムよりも、メンバー間の議論が見通しやすい

おかげで、研究戦略の立案や実施の際も「G+(Google+の略称)に書いていたあれのことね?」と、即座に話が通じることが増えました。普段から最新情報を共有する文化が根付くと、メンバー間で自発的に重要論文を深掘りするようになります。報告に留まらない、中身のあるミーティングが開かれるようになりました。

個人のやりとりが可視化され、外部とのコミュニケーションがスムーズに

書類仕事もラボメンバーの仕事。予算申請や報告書作成、実験装置のメンテナンスや業者対応など、事務手続き関連はBacklogでチケットを切って仕事を割り振っています。

多くのラボでは共通に利用する実験機器の「使用簿」を紙で出力し、「○月×日に機械を使った」という風に手書きで記録しています。装置を使っていると、故障やメンテナンス、消耗品切れなどいろいろなトラブルがつきもの。これら対応の記録は、手書きの使用簿には残りません。業者や代理店、メーカーとの対応はメールや電話で行うため、担当者が一度決まると、その人のメールボックスや記憶の中にしか情報がない状態になっていました。

そこで、Backlog上で各装置に1チケットを割り当てることにしました。チケット内にメンテナンス内容やメール・電話対応の方法や結果をその都度記録しています。メーカーの対応状況だけでなく、対応のクセやうまくいった対応方法、過去の失敗などがまとまっているため、誰でも過去の経緯を簡単に追えるようになりました。担当者が変わっても、これまでの経緯を簡単にトラッキングできるのもメリットです。

すべての情報が集まる場所をつくることで、メンバー同士の壁がなくなった

ラボに最も大きな影響力を及ぼしたのはSlackの導入です。Slackをコミュニケーションのハブにすることで、物理的距離が離れた研究者間のコミュニケーションを効率化できました。

ウエットの人は、コンピューターの解析と比べて曖昧な結果が得られることが多くなります。そのため、加工されていない生の実験データや実験進捗、データ解析の進捗などをリアルタイムに、チーム内で共有することが新しい科学的な発見につながります。Slackで「気軽に実験結果や解析結果を共有できる」状態をつくると、ドライ・ウエット関係なく気軽にコミュニケーションでき、新しい気付きにつながります。生のデータを共有することで、間接的には研究不正の防止にも役に立っているかもしれません。

実験データやホワイトボードのキャプチャの共有といったリアルタイムコミュニケーションはもちろん、日常会話も交わされる

実験結果は、気温や湿度に影響されます。そこで、4つある実験室にそれぞれ、温度・湿度などのセンサーを設置し、その状況をクラウドに蓄積、Slackにリアルタイムに通知する仕組みも作りました。ウエットの人の「SlackとIoTをうまく組み合わせて、湿度・温度管理ができないか?」というアイデアをドライの人が実装したケースです。

Slackでモニタリングをしていたため、ある実験が失敗したときも「異常な湿度上昇であった」と簡単に特定できました。通常であれば、実験失敗の原因がわからずに半年近く苦戦しかねないところを、ものの数十分でデータをもとに理解できたとき、ラボのIT化が成功したことを実感しました。

ライフサイエンスは、データ解析をする人と実験をする人の両者が力を合わせる分野。ITツールを通じて専門の違いという壁をうまく乗り越えることで、いい相互作用が起こり始めています。

メンバーが増えるにつれ、「暗黙知」では機能しなくなる

今となっては、ITツールを使っていなかった頃のことが想像できませんが……。

ラボがスタートしたばかりでメンバーがまだ3~5人だった頃は、毎日のコミュニケーションの中で情報共有すれば問題ありませんでした。しかし、規模が大きくなるにつれて、年齢や専門が異なる人たちがチーム内にも増えていきます。少数メンバーだけの「暗黙知」だけでは、うまく回らなくなる危機感を覚えました。

個々人のノウハウが組織に残しづらい環境

理研のような国や公的機関の研究所で働く人は、定年まで働くという仕組みがほぼありません。任期制のため、3~5年でメンバーの入れ替わりがあります。そのため、実験や解析のノウハウはもちろん、実験機器の使い方やメンテナンス方法を資産としてラボに残すのが非常に難しいのです。

新しくラボに入る人への仕事やノウハウの引継コストも無視できません。実験機械やソフトウェアの使い方、過去の実験成果の共有・理解に膨大な時間がかかり、研究の開始が遅くなる傾向がありました。

優秀な人ほど、研究に集中できない

Slackによるリアルタイムなデータ共有とは別に、まとまった実験結果を持ち寄って議論する必要があります。

我々のラボでは、月1~2回の会議で進捗報告をしています。この際に、各研究者は、KeynoteやPowerPointで作ったプレゼンテーションファイルにデータをまとめ、ミーティングで発表します。資料を作成するには、おのおのの実験結果をある程度解釈し編集しなければなりませんが、資料作成には時間がかかります。

そこで、統計解析環境RとMarkdownを利用し、データ解析結果のレポートをまとめ、Qiita:Teamに自動的にアップロードする仕組みを作りました。最近はJupyter Notebookも利用しています。

そもそも、進捗報告のたびにミーティングを設定しなければいけないというのも問題の一つでした。ウエットのメンバーは数時間にわたる実験も多いため、時間調整も難しくなってきます。

また研究者は成果を上げるほど、さまざまなプロジェクトに駆り出されます。そのため、優秀な人がミーティングに出ずっぱりで、研究そのものに集中できなくなっていたのです。Qiita:TeamとSlackで情報共有が効率化されると、すべてのメンバーが各プロジェクトの進捗を知り、自由に意見できるようになりました。これにより、参加するミーティングの回数が減ったほか、ミーティングでは話題にしにくい細かい研究のコツや工夫、失敗談などの暗黙知も自発的に共有されるようになりました。

このようにして優秀な人材の研究時間を最大化することにも、SlackやQiita:Teamが有効であると感じています。

ITツールを組織文化として根付かせるために

ツール導入・運用初期に心がけていたこととしては「厳密なルールで縛らない」「メンバーが自発的に動けるマネジメントを行う」の2つが挙げられます。

厳密なルールで縛らない

厳密な利用ルールを設けていないのが、チームで上手く使いこなす秘訣です。ウェット研究者など、ITツールに明るくないメンバーもいますが、Slackのタイムラインを見てもらううちに、自然と各ツールの使い方がわかってきます。「この場合には△△、あの場合には××を絶対に使う」というように、ルールばかり増やしていっても覚えきれないし、例外にも対応しきれません。

実は、いま使っているツールもラボのメンバーが自然発生的に導入したもので、ラボ内で「このツールを公式に使います」と言ったことはありません。ドライのメンバーがトライアルで導入して実際の使い方を示すと、ウエットのメンバーが「自分も使ってみるとおもしろいかもしれない」と興味を持って使い始めるパターンが多いですね。

メンバーが自発的に工夫できる風土やチーム作りが大切

基本的に、ツールのチュートリアルは行いません。複雑なツールの使い方やオススメの手順は、ラボ内の有志がQiita:Teamなどに書いてくれるので、それがマニュアル代わりになっています。

各メンバーがITツールを自発的に利用するどうかは、ITリテラシーの問題ではなく、マネジメントの問題ではないでしょうか。ピラミッド型の組織だと「上司がまた新しいツール増やしたよ……」みたいなこともあるでしょうけど、メンバーの一人ひとりが当事者意識を持ち、「自分たちの知識を教え合ったり工夫したりすることで、個人や組織の仕事がどんどん進む」という雰囲気があれば、ツールの使い方はおのずと浸透しますし、そのうち自走すると考えています。

今後は拠点間での活用に挑戦

現在、我々が持つ計測技術やデータ解析技術が認められ、さまざまな大学や研究機関から「共同研究したい」というお声がけを多数いただいています。そこで、2017年7月から関西にも研究拠点を設けました。そうなると「空間的に離れた拠点間の情報共有やコミュニケーションをどうするか?」という問題が出てきます。拠点間の映像をつなぎっぱなしにして、メンバーが近くにいるかのように感じられるようテレプゼンスシステムを導入するなど、まさに模索しているところですね。

実験室の温度・湿度・CO2濃度などのモニタリングもIoT化。適正温度から外れると、Slackでアラートが飛ぶ仕組みだ

自分のラボだけでなく、他のラボへのノウハウの提供も進めつつあります。学会や、若手研究者が集まる研究会では、ラボのIoT化や効率的なマネジメント方法について、講演させていただきました。僕たちのケースを知ってからSlackを導入したというラボの話も聞きますし、別のラボでは、IoTによる空気中CO2観測システムを導入したそうです。

現在、日本の科学研究費やその成果は、欧米や中国と比較すると低下してきているといわれています。国内の限られたリソースで研究成果を最大化するために、ITを賢く利用し、知恵で苦境を乗り越えなければなりません。今後もさまざまなツールを活用し、研究活動の生産性向上やチームビルディングに役立てていきたいですね。